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「まじめな話」の板
220
:
初心者
:2012/11/03(土) 11:01:01
ロゴスとソフィアのちがいとは何なのでしょう。このあたり、さまざまな解釈が
成り立つわけでありますが、わたしなりの意味づけのちがいをひと言でいうなら、
ヒエラルキーのちがいということになるのではないでしょうか。
ロゴスにおいてもソフィアにおいても、ヒエラルキーは存在するでありましょう。
ただそのヒエラルキーが自然状態にあるものか、それとも文化的な条件によって
意味づけられたものであるかによって、ロゴスとソフィアのちがいが生じるものと
考えます。
自然状態のヒエラルキーということでいえば、食物連鎖が思い浮かびます。自然界
には、食物連鎖の頂点に立つ生き物が存在していると考えることができますね。
たとえばそれがメガトロンであり、ティラノサウルス(スピノサウルスかも)であり、
プレデターXであるという具合に、時代によってさまざまに変わってきますけども、
そうした生き物を頂点として、食うものと食われるものの力関係がほぼ固定された
ヒエラルキーが自然状態のなかで構築されていると考えることができるはずです。
こうしたヒエラルキーをわたしはソフィアの働きと考えることにいたします。それは
道元が「仏」と呼んだ「命の働き」とおなじであるのかもしれません。「仏」とは「佛」
でもありますが、「佛」の意味するところは「人ではない」ということですね。「仏」
という字にしても、「人のム(無)」つまりは「人ではない」と解釈することも可能で
あるようにおもわれます。
道元のいう「仏」とは、「人ではないもの」つまりは「自然」をいってるわけです。
では「人であるもの」とは何かといえば、それが「はじめにロゴスあり」の宣言で
はじまる文化的状態であります。
文化的状態とは、いうまでもなく言葉によってつくられた世界です。もちろん
自然界にも言葉といえるものはあるでしょう。それは厳密には言葉とは区別される
べきものであり、「コトバ」といっておくしかありません。言語学の用語で使い分ける
ならば、言葉とはラングであり、コトバはランガ-ジュということになるでありましょう。
ソフィアのヒエラルキーが、道元のいう「仏」つまりは自然にあるがままの「命の働
き」によってつくられたものであるとすれば、ロゴスのヒエラルキーは、「命の働きで
ないもの」によってつくられたヒエラルキーということになるはずですね。
その「命の働きでないもの」こそがラングとしての言葉ということになるのでは
ないでしょうか。ロゴス中心主義とは、あるがままの命の働きを離れたところで
ヒエラルキーを構築しようとする内的な衝動であり、いうまでもなくその衝動は、
「言葉の働き」によって生じさせられているということになるはずであります。
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