したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

「まじめな話」の板

217初心者:2012/11/02(金) 13:05:47
さくらちゃんへ

山ちゃんさまの文章は読んでおりませんけども、思うところを書くことにいたします。

>本流派のアクエリアンさまは、何が起きてるか冷静に分析すると仰ってましたが、
本流派さまの冷静な分析とは、どういうことなのかわかりません。が、こういう批判は、考えて頂きたいとわたしもおもいます。

何が起きているかを冷静に分析する?アクエリアンさまにはたして、冷静な分析者
としての素養がおありなのでしょうか。疑問符がつくところではありますけども、
よき結果を待つことにいたしましょう。

>わたし自身、古事記の深い直感把握にもちろん認識不足ですが、
…総裁が、「古事記」と「日本人の自然観」と結びつけたところが、読んだ時やはり引っかかりました。

総裁がもしも『古事記』と「日本人の自然観」とを結びつけられたのだとすれば、
重大な認識不足を露呈されたとみなしたほうがよいのかもしれませんね。

すでにこちらでも論じたこととおもいますが、日本人にとっての『古事記』とは、
やがては国家主義へとつながり、自然破壊の道筋をひらくことにもつながった
やもしれぬロゴス中心主義の表明であったという気がしてならないのですけどね。

「葦原の中国(あしはらのなかつくに)」が古代日本の呼称であったとすれば、
ここでいわれている「中国」とは、地理的な中心ではなく、万物の起源たるロゴスを
頂点としたヒエラルキーのある階層における中心ということになりそうです。

『古事記』では、まるでひとつのヒエラルキーを形成するかのように、「命名」という
行為が次から次となされていっているようにもおもえますね。この場合の「命名」
とは支配の欲求ということがいえないでしょうか。名前を言い当てるとは、人類に
とってみればすなわち相手に勝つということでもありますからね(エネルギーと
いう命名がその好例ではないですか)。

それにしても、「直観把握」によってでてきたものがロゴス中心主義であったとすれ
ば、なんとも貧弱な「直観把握」であったとしかいいようがないではないですか。
さらにつけくわえるなら、『古事記』のハイライト部分を織りなしているであろう(と
わたしが勝手に考えている)、あのファルス中心主義までもが「直観把握」の結果で
あったとすれば、人類にとってはいかにも常識的としかいいようのない「父権社会
のシニフィアン」が、『古事記』においては、なぜか直観によって把握されたという
ことになってしまうのでありますよ。

これはいったいどういうことなのでしょうか。ユングの元型?と理解すべきなので
しょうか(太陽にぶらさがったファルスが風に吹かれてゆれている、というのがあり
ましたよね)。いますこし勉強してみなければわからないといったところですね。

なんにしても、総裁が、ロゴス陣営に属しているであろう『古事記』と、森の思想たる
ソフィア陣営に属すべき「日本人の自然観」とを混同しておられるのだとすれば、
総裁が従来より実現しようとしておられる環境活動にしても、所詮は支配の継続
ねらいのエコロジー活動でしかないということになるのかもしれません。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板