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「まじめな話」の板
2026
:
神の子様
:2014/07/14(月) 13:16:25
1241 :うのはな:2013/04/15(月) 09:33:59 ID:G0f8u6DU 有罪判決を受けた地震学者
私は研究者であり、教師です。真理に殉ずる職業です。
「地球温暖化について、教師が生徒に教えるのはよくない」。私はよく、こんなことを
口にして物議を醸すのですが、これは「真理」から見たジャッジです。地球温暖化というのは、学問としてまだ
非情に歴史が浅く、しかもアメリカが自国の利益を考えて言いだした、という経緯があります。
学問としてまだ、何が真理か定まっていません。それを、あたかも事実のように教えるのは、教師という専門家として
正しくないのではないか、とこう思うわけです。
多くの専門家は、国からのライセンスをもらっています。門外漢からすると、専門家の領域は不可侵です。なかなか物を申せません。
そうなるとどうなるでしょうか。専門家は常にそのことに意識的でないと、どうしても「殿さま」のような偉そうな雰囲気を身につけてしまうのですね。
原発の事故で、医師を含め、多くの専門家が、正しくない情報を流しました。これはいわば、専門家だからこそ陥ってしまった「正しさ」の罠だったというわけです。
わかりやすい例が、先日イタリアでありました。
<多数の犠牲者が出た2009年のイタリア中部地震で、大地震の兆候がないと判断し被害拡大につながったとして、過失致死傷罪に問われた同国防災庁付属委員会メンバーの学者ら
7人の判決公判が22日、最大被災地ラクイラの地裁で開かれ、同地裁は全員に求刑の禁錮4年を上回る禁錮6年の実刑判決を言い渡した。地震予知の失敗で刑事責任が争われる世界的にも異例の事件。
同地震では309人が死亡、6万人以上が被災した>(2012年10月23日共同通信)
地震予知に失敗した学者が、有罪に問われたという出来事です。で、このことに関して、コメントを求められた日本の「学者」が何と言ったかというと、たいていの人が、「学問の自由をどう考えているのだ」と
立腹しました。マスコミも、「学問の自由の侵害」という議論で、各社報じていました。
しかし私は、有罪のほうが「正しい」と思うのです。〜中略〜
イタリアの例に話を戻しましょう。彼らが、研究者として地震を予知していたならば、別に罪に問われることはありません。
それそこ「学問の自由」です。しかし、イタリアの地震学者は、「学者」として「地震が来ない」と発言したのでしょうか?
報道によれば、そうではありません。彼らは、「イタリア防災庁付属委員会」の委員として、発言したのです。
『「正しい」とは何か?』 武田邦彦 著
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