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「まじめな話」の板

1181「靖国見真会」参加者:2013/06/18(火) 13:27:39
「訊け」さんへ

》あまりにも狭量さが出てはおられませんか?いや、これだからホシュとか宗教は若者ですが、敬遠するんですよ・・・・・

いつも身に余る、過分なご忠告を賜り、心から感謝申し上げます。

そうです、仰る通り、私「狭量」であります。

それを認めます。

自分でも、どうして、いつの間に、こんなにも「狭量」になったのかと、呆れております。

結局、これは「八ヶ岳教団」の病が自分にも乗り移ったからではないかと思うにいたりました。

だって、何でも裁判、裁判、赦す心とは最も対極の世界に付き合わされてしまうのですからね。

ということで、「日本教文社が起こした新たな裁判訴訟の意味するもの」と題して、拙文を認めさせていただきましたので、それをこちらにも貼り付けさせていただきます。

「八ヶ岳教団」はどうも光明思想社の『新編 生命の實相』「聖経」は絶対に容認しないという立場のようですので…。

>性懲りもなく、日本教文社(教団)は、裁判を起こしてしまいました。

これはいったい何を意味しているのか、それを考えてみたいと思います。

以前、日本教文社は、最高裁の判決が出るまでは著作権の所在は確定していないとの建前で、密かに、『生命の實相』を出版しようと画策いたしました。

その動きを察知した社会事業団と光明思想社は、差し止め請求の仮処分申請を行いました。

その結果、地裁の和解案として提出された、最高裁の判決が出るまで出版はしないということを両者が合意、最高裁の判決待ちということになったのです。

そして、今、最高裁の判決が出た以上、日本教文社からは『生命の實相』「聖経」は出版できないということが決定したわけです。

それを前提として、今度の新たな裁判を考えてみるべきなのです。

この裁判も、前のそれと同じように、一審、二審、最高裁という形で何年と争われていくことになりましょう(途中で取り下げるとは考えにくいですから!)。

だからと言って、日本教文社は、既述のように「和解案」を呑んでおりますから、この法的拘束力は大きいものがありますから、今回の裁判に勝訴しない限り(最高裁の決定を見る限り、その可能性はゼロに等しいわけですが)、『生命の實相』「聖経」を出版することはできないわけです。

つまり、今回の裁判を起こしたからと言って、向こう、何年間というもの間、「八ヶ岳教団」は『生命の實相』もない「聖経」もない状態が続くことに何ら変わりはない。

結局、こういう裁判を引き起こしたということは、「八ヶ岳教団」は日本教文社が発行する『生命の實相』「聖経」しか認めないという立場を明らかにしたということを意味するのです。

ざっくり言って、一部で言われていた、光明思想社から出されている『新編 生命の實相』や「聖経」を活用すればいいという案は、これでなくなったということになります。

それが〝神殿〟であるならば、光明思想社から出ていようと構わない、それを使えばいいではないか、という、心ある信徒の良識、良心というものは、今回の新たな裁判によって無残にも砕け散った、一蹴されたということをしっかりと腑に落とし込んでおく必要があると思うものであります。


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