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【ひとりごと板】

5833A空慧理庵:2016/11/16(水) 19:28:53

リチャードギア、「仏教徒としての私の旅」より

私が初めて仏教に出会ったのは二十代のはじめでした。

私は多くの若者と同じようにとりわけて幸せであったということはありませんでした。

自分が自暴自棄的であったかどうか分かりませんが、かなり不幸に感じていたことは確かですし、「何故そうなんだ?」というような疑問を常に持っていました。

正気を踏み外す一歩手前で踏みとどまりながら、深夜営業の書店で多くの異なる分野の本を探し回りながらできる限り多くの本を読んだものです。

エヴァンス・ベンツのチベット仏教の本には特に影響を受けて、夢中になって読んでものです。

私はこの息苦しい現実の世界から脱出したかったのですが、まさかそれが可能とは考えもしていなかったのですが、この現実の世界で生活していながら同時にこの世界から超絶としていることができるという「空」の思想は革命的だったわけです。

ですから仏教の、特にチベット仏教の修行方法に惹きつけられたのですが、最初に取り組んだのは禅でした。最初の師は佐々木老師でした。三日間の接心のためにロサンゼルスへ出かけたことを覚えています。何ヶ月もかけてストレッチをして脚を鍛えて来るべき接心をやり遂げられるようにと準備をしました。

私はその接心において佐々木老師から神秘的な体験を得たのですね、リアリティーの体験といってもいいと思います。私は確信しました、これは何も特別なことではなく普通の出来事なのだ、と。このリアリティーの体験というものは空を飛ぶといったというような魔法的な外的なことではなく、自分の内なる心に起こった厳粛な体験だったのです。これは私の仏教修行の道において重要な位置を占めています。

佐々木老師は信じられないくらいにタフで非常に深切でもありました。私はまったくの初心者でまったく何も知りませんでした。生意気であり不安定であり混乱そのものでした。それでもこの機会に本気で学びたいと考えるようになりました。この接心の終わりの頃にはまだまだ独参に参加しようという気持ちが起きませんでした。公案に対処するにはあまりにも能力不足であるということなんですね。そして、最後に、ただその場所に座っているだけでした。佐々木老師が笑いながら、「さあこれから修行ですね。」と言われたことを覚えています。何も言うことはありませんでしたね、まったく、何も。


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