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【ひとりごと板】
2030
:
さくら
:2013/01/26(土) 04:18:13
初心者様
一、
一つの例を考えたいと思います。
初心者様が仰るように、大衆に受け入れやすいのは、「一元論的な世界観」の教えということがいえますが、
「暴走」と表現したのは、(偏狭な宗教にはよくあることですが、)
たとえば、自分の捉えた教えのみが「真の教え」であり、他は「虚説」だというようなヒステリックさがあります。
この態度にはわかりやすい純粋性がありますが、宗教として安易な発想です。
「大衆」といいましたが、たとえば学生でも主婦でも、ごく普通の人が、あるとき、何かを信じることで、自分こそは、「真の教え」を分かっている人間だという、自己の特殊化、差別化がおこる、
…そのような特殊な感覚がなければ、一般の会話の中で人に対して「虚説」などの言葉は、向けられる言葉ではありません。
この場合の、他に向けられた「虚説」の言葉の根本にあるのは生理的嫌悪であり、たしかな根拠は、存在しないようです。
この違和感を、初心者様なら、ご理解頂けますでしょうか。
長い年月の淘汰に耐えてきた宗教には、こうした「暴走」に走らない智慧があるとかんじます。
つまり物事を相対的に捉え融合させる智慧です。
仏教や神道でいう「御中」や「中道」という元に返ることが本当のバランスだとおもいます。
私は先に、雅宣総裁が「バランス」をとったと書きましたが、
初心者様が仰るように、それは、生長の家教団のなかの「偏り」に対抗せざるえなかった、そういう意味での「バランス」に過ぎないとわたしも思います。
このことも、「御中」「中道」というような真髄に返ることが本当のバランスだということで、
靖国見真会様がご指摘して下さったような、右だ左だという政策を支持するということを指したのではありませんでした。
生長の家も本来、そういう真髄を説いたものですが、
「真の〜」とあえてアピールするヒステリックさは、どこからくるんだろうと、疑問に感じたということです。
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