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生長の家傍流掲示板/別板/浄心行板
1237
:
神の子様
:2013/05/15(水) 16:06:58
(参考)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<唐松模様> 2012年6月12日 (火) 聖経について (3)
この中で「本部の発行じゃなかったのであります」という部分は、見方によっては雅春
先生が「自分の意志じゃなかった」という意味で書かれたと解釈できる。またさらに拡大
解釈すると「自分は東京の本部にいて知らなかった」という意味にも取ろうと思えば取れ
る。しかし、当時の状況を詳しく知り、教団の中での先生の位置や信徒の尊崇の念を考慮
に入れれば、先生の著作物であり、かつ教団の運動中で重要な役割を果たしつつあった「甘
露の法雨」の詩編を当時、先生に断りなく誰かが発行する可能性などゼロに等しいと言え
る。それよりもむしろ、この御文章中にある「最初は京都の教化部で」の意味は、「聖経」
という呼称のことではなく、「経本型」での発行のことを指している、と私は考える。つ
まり、「聖経」と呼ぶことは先生御自身のアイディアであったが、「折本型の経本」とい
う体裁で発行したのは京都が初めてだという意味なのである。
(後略)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ROMの人 」さんの指摘されたその「原文」です。
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