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生長の家傍流掲示板/別板1

3397ハニー:2019/01/09(水) 06:58:34
25: ハニー :2011/07/01(金) 00:24:40

>24のつづき

 発表した人は、みんな確信に満ちて発表したのでありますから、
 先生のこのご発言にはまるでからかわれているような感じをうけたのであります。

 谷口先生は更にお言葉を続けられ、
「薬を必要としない者に要らないというのは 間違いであり、
必要としない者に要らないというのは正しいのであり、必要な人に 
要るというのも正しいのである。


要るか要らないかは相対論であって、
要るものには要るし要らない者には要らないのがそのまま
正しいのであります」と、結んで下さり、一同真理は絶対であり、
相対的に論じてみても結論とも
 解決ともならないことをお教え頂いたのであります。

 次に谷口先生からお出し頂いた公案第二問でありますが、
人間神の子完全円満という生長の家の 教えで、神の子たる人間に
脚下照顧の必要がありやなしやの問題も、禅問答のような 問題でありまして、
相変わらず脚下照顧の必要はないという説と必要はあるという
 相対論で激論が交わされました。


また、谷口雅春先生が最後に、
「それでは私から正解を申します」といってお立ちになり、
「この問題も、現象と実相の区別をしなければ正解は生れません。


  人間神の子完全円満という人間は、
実相の人間であり、実相の人間は元々完全円満 であり、
そのままで完全円満なのでありますが、現象の人間はそうはまいらない。


例えば、鏡は何時如何なる時でも絶対にくもったり汚れたりしないので
ありますが、ホコリがかかることもありますから、いつも鏡を清らかにする
ためには、ホコリを断えず払い除け拭きとらなければいけない。

鏡とホコリとを常に区分し、
いつもくもることのない鏡を見ながら、

くもって見えるほこりだけは拭きとる必要が あるように、
神のお造りになった神の子である人間も常に心の眼を実相の方に
向け現象の悪や不完全さを否定し切り、実相をあらわす為の脚下照顧を怠らず、
神想観(念仏)をしなければならないのであります」 
 とお諭し頂いたのであります。


  ここでも実相と現象の区別を明確にしなければ、
極楽浄土は空想論となり、遠い彼方にあると表現し、
そこに生れて往くのは死んでからとまるで夢のような話に
なるのであります。

 「そのまま極楽の道」 藤原敏之 先生著 P201-205


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