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生長の家傍流掲示板/別板1

28島の借り暮し、さくら:2012/07/24(火) 18:57:15
トキさま。

本島で返信頂きましたが…時間こちらに書き込み失礼します、。島にきたときにでも、目を通して頂けたら幸いです。

>で、思うの( ですが、生長の家で学んだ事を、今度はその人が自分の生活の中で生かす。これは、政治家なんかは国家が問題になると思うのですが、教育者は教育で、主婦は地域社会で、と様々な太陽(?)で具体化する。その内容ではなく、精神が大事だと思います。

このことに同意いたします。
うまく表現できず、伝わりませんでしたが…
「ひとりひとりの法燈継承」がテーマになったとき、大切だと思ったのは、トキ様が書かれている、この内容のことでした。

それぞれの立場で、本分をつくして教えを生かすこと。
結局は、生長の家を信頼ある団体にすることは、このことだなとおもってます。

わたしは…生命の實相、という真理は、一生かかっても捉えきれない広大無辺の真理として本質があるとおもうので、自分がある段階でとらえた「真理」を、「絶対の教えだ」というようなことを、かんたんに、言い切れないものではないか、とかんじています。
(宗教の…わたしには抵抗ある態度です。。)

だから、自分のばしょで、いまの時点でわかってることを、ひとつひとつ実行することが大切とかんじてます。
それをひとりひとりが考えて、みながオープンに語り合える雰囲気が、生長の家でも取り戻るとよいと。

「生命の實相」を読んでいても、雅春先生は広範囲な分野で、また時代背景がありながらの、多側面的言及をされておられますので…組織としての「枠組み」を作って実現性を目指すことは、
…やはり、一方で、なにか大切なものを見失うことが多いのではないでしょうか。
政治運動などは、わたしはその典型なのではないか、と捉えています。

清超先生が、学校建設に賛成されなかった理由が、おおきな「枠」を変革したからといって、「ほんとうの信仰者を作ることには決してならないからね」と仰ったことをおもいだしますが、
改めて、清超先生は、本質をつかまれて見失うことのなかった、一信仰者としての誠実なお姿は、素晴らしいとかんじています。

(それでも、組織としては、問題を抱え、いまにつながることも、ありますね)

わたしが個人的にかんじる宗教としての信仰運動は、おおきな枠組みの変革を大上段から唱えることでなく、
ひとりひとりのこころに向き合い、人のこころがかわることで、世の中が変わっていく…
そのことを信じて祈りながら、自分のばしょで具体的に地道に行動してこととかんじました。

(トキさまは、組織のなかでも、人望ある地道な活動をされていたことをかんじ、尊敬します。)

>救済という言葉の意味が、変化していくのは自然だと思います。
 例えば、法施と物施という話がありますが、当然、宗教の世界では前者が優先します。
しかし、大災害の時に救援する事が何よりも優先するように、具体的な「愛」の表現方法
は当然、変化すると思います。
   ただ、その方法は、一人一人が考える時代なのかもしれません。


それぞれ、「愛の表現」の変化や、多様性のある展開ができる、アイデアを期待しています。

それから、組織論より、魅力ある活動…その通りですね、。

トキ様は、魅力ある活動とは、どのようなことを期待されイメージされておられますか?


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