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生長の家傍流掲示板/別板1

2759シャンソン:2017/09/13(水) 11:32:29
部室版4
>2686: 志恩 :2017/05/23(火) 03:38:49 ID:6hRUvSRg
トンチンカン信徒さんが傍流掲示板で紹介されていた 中沢新一さんは、大学教授で宗教学者です。
中沢新一さんと、橋本治さんとは、うのはなさんが言われてますように、仲が良いようです。
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特集「考える仏教」その4 「浄土」をめぐって

仏教浄土・・・   中沢新一さん と 橋本治さん


ネットより

 ここでは「浄土」について、あるいは「浄土」を出発点として仏教を論じた
二つの対照的な文章を紹介したいと思います。

まず、中沢新一さんの考え方ー

「浄土」という言葉は、仏や菩薩が住む国のことを指し、特に阿弥陀仏の住む西方浄土のことを
「極楽浄土」と言います。

法然の浄土宗や親鸞の浄土真宗は、阿弥陀仏の本願を信じ念仏を唱えることで、「極楽浄土」に
「往生(=この世を離れて浄土に往き生まれる)」することを説き、中世の日本で、
老若男女や幅広い階層で爆発的な人気を博しました。

この「浄土」に「往生」することが、最終目標だったわけです。

 しかしこの「浄土」という空間は、はたして現代においても「リアリティ」のある「場所」なのか? 
こうした疑問について論じたのが、宗教学者・中沢新一氏の「浄土はどこへいった?」です。

中沢氏は、「源信や法然や親鸞たちが生きていた、中世のあの時代にはほとんどの日本人が、
浄土を自分の生き死にの問題に引きつけて、
真剣に考えていました」、しかし近代以降「一般の仏教はもちろん、浄土の思想を根幹とする浄土系の仏教徒たちでさえ、
わずかな例外を除いては、

本気で浄土のことを話題にしたり、問題にしたりしなくなってしまいました」と述べ、そして「中世の人々にあんなにも生々しく意識されていた浄土が、
近代の日本人の関心からすっぽりと抜け落ちるようになってしまったのは、なぜなのでしょう」と疑問を投げ掛けます。

 そして、源信の『往生要集』における浄土の描写をもとに、心の内から発するイメージとしての浄土、「絶対的自由空間」としての「浄土」の必要性を、
現代に生きる我々に中沢氏は呼びかけます。

「あるか、ないか」の実在を問うことで、自ら浄土への通路を塞ぐのではなく、たとえ「社会や経済システムが必要としていなくとも、
浄土を信じ、
それを思うことが大切」であり、またそれこそが心の本質に辿り着く道であることを力説しています。


(続く)


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