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「雑話サロン」板
17
:
「訊け」管理人
:2013/08/28(水) 09:15:34
・・・・・・さて、鈴木邦男先生の話の流れで、ウドさあに触れました。余談めいた話ですが今回、「大西郷」について語ります。
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「ぬれぎぬを 干そうともせず 子供らが なすがままに 果てし君かな」
(南洲神社内の勝海舟歌碑)
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・・・・・・さて、もうすぐ南洲忌ですので先日、「ウドさあ」のお墓参りに行きました。西南の役で亡くなった「大西郷」の、供養に行ったわけです。まあ、ここに来れば(マトモな南九州人ならば)皆、悲泣せずにはおれません。誠に貴い場所です。まあ、郷土の先輩方はみな、まともな感性の持ち主でした。そしてあの、「ユダヤ資本(=明治新政府)」と、戦ったのです。もう、ここへ来ると、いろいろな思いが去来します。・・・・・さて、ところで最後の「城山籠城戦」ですが、この際の戦力比をおさらいしましょう。最後の攻撃の時ですが、両軍の兵員数は、
●政府軍 70,000名
●薩軍 372名
と云うものでした。
・・・・・わずか300名の薩軍に対して政府軍ですが、「なぜ7万名も?」な疑問が浮かびます。単純に、「それだけ薩軍が強かった」のです。(少なくとも、南九州ではそう、言われます)そして彼等はすべて、戦死しました。で、もうすぐ南洲忌ですのでその、「ウドさあ」と薩摩烈士のお墓参りに行きました。
南洲神社【画像】
https://lh6.googleusercontent.com/-3ipsgRqon5s/UKc26nOcCDI/AAAAAAAAADM/EAy9DH89bBM/s1600/P3212562.jpg
桜島を臨む【画像】
http://www.kanco.co.jp/kancophoto/a-0046.html
墓地正面は「ウドさあ」(大西郷)です。その右手には「篠原国幹」左手に「桐野利秋」などの墓が並びます。墓地全体では七四九基、二千二十三名もの人々が眠っております。そして、前方には「桜島」です。
もう、「壮観」の一言です。
さて南洲墓地ですが、ウドさあを中心に薩摩烈士が、「ぐるりとそれを護るように埋葬されている」のです。わずか十四歳で戦死した「伊地知末吉」「池田孝太郎」の墓や、児玉実直兄弟〝五人全員戦死の墓〟などもあります。また、西郷軍に協力したということで処刑された鹿児島県令「大山綱良」の墓や、はるばると山形県の庄内から西郷をしたって鹿児島に来て、私学校で学び、そのまま従軍して戦死した「伴兼之」「榊原政治」の墓もあります。で、ここに来ますとこう、考えます ――
「対米独立を果たすべし」
「従米路線を廃すべし」
と。
・・・・・・まあ、南九州人以外にはあまり、魅力ある観光地では「ない」かもしれません。
しかし、「従米路線を廃すべし」な方おられれば「南洲神社」参拝を、お勧め致します。
拜
追伸
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だが、その「天子」と皇族が、それを欺く政府の「姦謀」が、ともに相寄って自ら国を亡ぼそうとしているとすれば、この事だけはどうしても赦すことができない。
『南洲残影』(江藤淳著)57頁より――
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ユダヤフリーメーソンは、維新の功臣、実力者、権力者の中で西郷隆盛だけは買収することも洗脳することも脅迫して取り込むこともできなかった。どうやっても西郷は彼等のものにならなかった。そこで彼等は、西郷を排斥せしめ、遂に、敗死せしめたのだ。
福山健一著「ユダヤ問題文献集」(1979年)
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