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聖典紹介板
18
:
「訊け」管理人
:2013/11/16(土) 18:19:04
『靜思集』19頁より謹写――
あなたは此頃(このごろ)生活に悦びが感じられなくなったと被仰(おっしゃ)いますが、それは「私」と云うものが次第にまた頭を擡(もた)げて来たからではございませんか。「個我」(わたくし)と云うものは本来無いものでございますから「個我」と云うものの悦びなどは本来無いのでございます。本来無い「個我」を養い育てて本来無い個私の悦びを味わおうと思っていらっしゃいましたのが貴方の迷いでございました。貴方は個我さえ伸ばしたら自由が得られて幸福だと思って分裂相克を進んで選ばれたのでした。貴方は伸びて行くように見えていますけれども、それは形の上で伸びて往っているだけで魂の方では退歩しているのでございます。だから其の分裂相克からは決して本当の「悦び」は得られるものではありません。
日比野友子さんが或る年の九月、北海道の諸地方に巡講にいらっしゃいました。日比野さんは、「感謝」の生活を強調してお話しになりました。講演後の誌友会で、ある傍聴者が日比野さんに食ってかかりました。「あなたは感謝の生活を強調なさいますが、感謝の生活だけでは消極的だと思います」「それではもっと積極的なものとは何ですか」「〝よろこび〟です」と其の傍聴者は昂然として言いました。「それでは其のよろこびを得るにはそうして得るのですか」その人は回答しませんでした。日比野さんは被仰(おっしゃ)いました。
「感謝したとき本当によろこびが得られるのではありませんか。感謝のないよろこびは根のない浮草のようなものです」
まことにその通りでございます。感謝の伴ったよろこびでなければ本物ではありません。
前進は時として後退によって起るものでございます。老子は『枉(まが)れば則ち直し』と申しましたが尺取虫は枉(まが)ることによって前進しますし、人と人との交渉は、先ず最初に譲って相手の悦びそうな一語を与えて置いて、相手の気をよくして置いてからこちらが欲するところを主張すれば、相手は容易にこちらの望むところを容れて呉れるものだと云うことであります。無闇に突っ張るばかりが打勝つ所以ではないのでございます。巨大な魚を釣り上げるのは、無理に頑張って糸を引張ることではないのであります。無理に引張れば糸が切れます。魚が引けば糸を延ばし、魚が抵抗をやめたとき糸を手繰る ―― 糸を延ばすときは魚に負けたかのように見えましょうとも、それは魚に負けたのではないのであります。前進は後退によって獲得することがあると云うのは、この事でございます。我を張れば互いに傷つく。野球のボールは手前に引くように掌を後退せしめて受ければ、掌が痛むと云うことはないのであります。
叩かれて黙っている者は時として一大偉人であります。「汝の右の頬を打つ者あらば、左の頬をも旋(めぐ)らしてこれを打たせよ。上衣を奪う者には下着をも与えよ。十里の公役を強いる者あらば二十里を行け」これはただ後退の教でも無抵抗の教でもない、「我れ地に穏かを出ださんが為に来れるに非ず、剣を出ださんが為に来れるなり」其処に必勝剣が蔵されているのでございます。
<了>
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