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聖典紹介板

17榎本先生ファン:2013/11/16(土) 09:04:34
榎本恵吾記念館「葩さんさん」より

 生長の家では、恨み心や憎み心、赦せない心があると完全な實相が出てくることを邪魔をしてしまって出て来れなくしている、と仮にそういう表現をするときもありますが、その恨みや憎みや赦せない心も神様が取り去ってくださるのであるというのが本当の教えなのです。なぜなら「神の国は汝らの内にあり」であり、神の国、即ちはじめのはじめからそのままで善いという實相はいつも私達の内に厳然とあり続けているのであり、私たちは常に神に愛され、生かされ、赦され続けているからです。神はいつもこちら側にいてくださるのが大前提であればこそ、懺悔さえも神様に任せることができるのです。憎みや恨みや赦せないという心が現実にあって、その向こうに神を追いやってしまってはいけないのです。全托するということも全托できるのでなければまことの全托とは言えないのです。こちらの力は何も要らないのであり、神と一度も離れたことのない、晴れ渡って、澄み切って、神と一つである姿が先であって、それは永遠の昔から、今も、久遠の先の先まで変わることのない實在の實相であるというところに全托という雰囲気が生まれるのであります。


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