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良いこと嬉しいこと報告板

169「訊け」管理人:2013/11/18(月) 14:47:49


>>168馬曳野さま

 そうですか。榎本惠吾先生ですが「くどい」ですか(笑)。でも私は、あのくどさが美しく観じます。先生は雅春先生の事を伝えるにあたって、「正確さを期す」方なのだと、思います。さらには語っておられるうちに、喜びに溢れてコトバがどんどん出てくる先生だと、思っております。

 たとえば、「自分はナイのですよ」と仮に、そう説明すれば済む箇所があるとします。

 「自分はナイのですよ」、そう云えば済むところを榎本先生は、こう表されます。


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“解る”とか“解らない”とかではないのである。自分そのものが無いのである。
“信ずる”とか“信じない”とかではないのである。自分そのものが無いのである。
“生きる”とか“生きない”とかではないのである。自分そのものが無いのである。
“悟る”とか“悟らない”ではないのである。自分そのものが無いのである。
“實相を観ずる”とか“観じない”とかではないのである。自分そのものが無いのである。
“浄まる”とか“浄まらない”とかではないのである。自分そのものが無いのである。
“實相の世界に入る”とか否かではないのである。自分そのものが無いのである。

 天使(てんのつかい)が生長の家に来りて歌い給いて“吾れは無限であり、光りであり、道であり、救いである”と歌い給うているのは、吾れは無く、無限のみ、光りのみ、道のみ、救いのみが渾べての渾べてであるということを歌っていることなのである。

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 あくまでも一例ですが先生は、そんな方です。まあこれが「くどい」と思われる方は、相当に理解の進んだ方なのかもしれません。しかし、私のように「リクツで解するタイプ」の、無神論者なんかだったりしますと違います。やはり、私の様な者を相手にされる際は、榎本先生のような「くどさ」が、必要になるのかもしれません。

 いややはり、聖典の理解ですが「榎本惠吾」先生・・・・・・・同先生に接することでかなり、理解が進みましたので。あの「くどさ」が私は、好きですね。




 「罪も光だ」 ―― こういう言い切り方は、新鮮でした。無論、『生命の實相』にも同趣旨の説明はあるわけですが、私が上記で問題にしたのはこの「方便・対機説法の部分」でした。「罪も光だ」・・・・・こんな榎本先生の断言は、私の様な者には救いになります。


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