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第6章

2YS:2012/10/03(水) 19:38:03
ご無沙汰しております。
わたしのほうからこの日にやろうといい−そもそも
この読書会そのものがわたしから提案であるという事実もふくめ−、
このような音信不通という事態、まことにすみません^^

さっきメール送ったら、すでに一仕事終えた気がして別の作業にはいっておりました・・・

>疑問が湧くというか、ひたすら「へぇー」という感じで。
ぼくも後者にかんしては、まったく同意見でした。
哲学史的知識への興味があったので、大変に勉強になりました。
とりわけ、アベラールという人物と思想にかなり関心を抱いております。

>キリスト教反駁論書いてるんですが、
>そんな彼がキリスト教の発展に貢献したという皮肉
これ、アベラールにかんしても該当しておりますよね。
アベラールも唯名論の代表者としてキリスト教の信仰に大打撃をあたえながらも、
キリスト教神学の発展には、多大な貢献をなしているという。


まだp. 148までしか読んでおりませんが、そのかぎりでわからなかった箇所が一点あります。
それは、p. 137周辺で論述されていたことですが、プラトンの分有と、アンセルムスの流出の関係についてなのですが。

p. 137だと、分有と流出は違っているという文章がありますよね。「ここには流出と分有の違いがあるだけである」
この違いがちと不明瞭だったというか、それ以後の文章だと、最高善と個々の善の関係と、神の存在と個々の善(?)の
類比関係をあきらかにした論述が続き、構造上はかなり類似しているという指摘がされていますよね?

となると、流出と分有のちがいというのは、最高のもの(最高善あるいは神の存在)のちがいなのか、それとも
言葉がちがっている程度の意味なのか、あるいはもっと別の違いがあるのか、よくわかりませんでした。

ってか、ちゃんと最後まで読んでから質問したほうがよさそうですね・・・w

がんばってきまする


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