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第4章

3YS:2012/07/15(日) 10:17:13
どうにか八九ページまで読み終えました―そして集中力、途切れ気味になりました。
ですので、前半の該当箇所にレスさせていただきます。

>「プラトンの学院アカデメイア」のところ
わたしがここを読んだ際には、またリン・ホワイトの『機会と神』のある一節を思い出しました。
プラトンの友人が幾何学の解明に役立つ装置をつくったとき、プラトンはマジギレしたという話なのですが、
なんとも幾何学をめぐるプラトンの立ち位置は、哲学と宗教の関係よろしく、複雑ですね。

p. 88の中世の討論会の「定期討論」と「任意討論」の区分と、日本の文学における「歌合」と「連歌・連句」の形式的
近似の話は、大変に有益な話でした。

あれ?そういえば・・・
>算術や数論といった数に関する学問は、我々を真実在へと引っ張っていく、といった
>ようなことを言うんですが
このことを知らなかったのですが、プラトンにおいては―著者によると―、哲学もイデアの世界へ旅路をしめすものであり
この世界へといたるための精神修養っていわれてますよね?
となると、プラトンにとってはあらゆる学はイデアに通じる精神修養ということになるのです?それとも、ORさんの意図
としては計算術や数論こそが本質的であり、著者は付随的な点に着目しているがために本質的な事柄を見落としているとい
う批判が込められているのです?
もし前者の側(そこまで極端ではなく、あらゆる学ではなく、複数の学だとしても)の方であるならば、なぜプラトン以後、
哲学が宗教と密接な関係をもち、計算術や数論は宗教から離れていったのでしょうか?
もしかして近代以前の中世でも、計算術や数論は倫理的教えを肩代わりするような役割を担っていたのです?

って、不勉強ですみません・・・w
残りの箇所は、火曜夜までに読了して、レスさせていただきまする!


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