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【人生】神理の対談【時事】
16
:
復旧君
◆JY7qS9dd7c
:2011/11/25(金) 11:55:46 ID:1qhQAL/c
>>15
のニンザブローさんへ
16 :芸無 ◆xaryiL1p1E :2011/11/23(水) 17:15:39 ID:8W1YW8vw
>>「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」新約聖書ヨハネ福音書15-13
>
>しかし、我を忘れてこんなことができるとしたら、なんと大きな慈悲なのでしょう。
自分の愛する人や家族に対してなら、それはそう難しい事でもないと思います。
世の中の人々の心が荒みきっている現状であっても、大抵の母親なら、仮にわが子が火事場の中に
取り残されていたとしたら、頭で考える以前に火の中に飛び込んで助けに行こうとするのは想像に難くありません。
「しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ」マタイ5-44
「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである」-45
「あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか」-46
「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」-48
イエス様がこのように説かれたことは、現代の日本において信次先生も別の角度から全く同じことを説かれています。
「正法を悟っている人々は、相手を怨むことなく、憐れに思い、《神よ、憐れなる者の罪をお許しください。間違った想念を正し、
心に安らぎをお与えください》と相手の罪を許すであろう」心の発見<科学篇>P.52
ですが実生活上で心の中になんのわだかまりやひっかかりがなく、素直にこの境地に達するのは大変難しいことです。
「心」が善意の塊とならなければ決して達成できないと思われます。性善説で有名な孟子の惻隠(あわれみ)の心、つまり
「もし今ここにヨチヨチ歩きの赤ちゃんが井戸に近づいていて落ちそうになったのを見たら、人は誰でも思わず助けようとする」
本当にそうでしょうか。ここにはなんの条件もありません。
もしその赤ちゃんが、日頃から自分を誹謗中傷、嫌がらせをしている人の子だったら?
もしその赤ちゃんを井戸へけしかけているのが、自分よりもはるかに体格がまさるヤクザで、武器を持っていたら?
武器を持っているヤクザが10人位いたら?
そのヤクザがこの赤ん坊を助けようとする者は容赦なく殺すと大声で宣言していたら?
それでも私達はその自分の子でもない赤の他人、しかも敵対者ともいえる人の子を我を忘れて利害損得抜きに助けようと
するでしょうか。いかに善意あふれる人であっても、おそらくは相当心の中で葛藤があるはずです。
「どうかその赤ちゃんを助けて下さい。代わりに私の命をささげますから」という善意が、恐怖と矛盾とに必死に戦うでしょう。
このように無私で人のために命をささげる崇高な行為は、学んでも出来ないはずで、長い長い転生で経験を積み重ね、その果てに
ようやくそのような菩薩心を持てるようになるのだと思います。
私自身も、それが出来るかと問われれば、今の自分には到底出来ませんと言うほかにない程度の人間です。
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