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業務連絡 3

1155:2021/11/24(水) 20:20:08
たてました。

571155:2022/10/07(金) 04:01:15
そうしますと、味覚には二種類あるということがわかり
ます。一つは物質的な感覚、化学変化の感覚としての味
覚です。

もう一つはエネルギー的な感覚としての味覚ですね。

この両者の違いは、物質的な感覚は味が薄っぺらい。食
べたてるときは「うまい」とは感じるのだけど食べても
食べても満足が薄いです。物足りなくなって、スッカス
カなのに味の刺激が強いとその刺激を求めてしまう、悪
い意味のクセになる感じですかね。

エネルギー的な感覚のほうの味覚は味が濃い。太い感じ
です。

572155:2022/10/07(金) 04:09:53
で、私が言いたいのは、業務連絡1番スレの125氏は、
刺激としての感覚体験はあっても、エネルギー的な感覚
体験の経験が不足してんじゃないの?ってことです。

私が言う、身体が教える「快」「苦」というときの「快」
とは、結局このエネルギー体験としての「快」であろう、
そして肉体的な刺激としての「快」は見せかけの「快」
でしかなくて、あまりに刺激の方の「快」を追いかけて
ゆきますとエネルギーの裏付けがないので結局「苦」に
反転してしまうのではないでしょうか。

573155:2022/10/07(金) 04:18:13
これは味覚で説明したのですが、視覚、聴覚、嗅覚、触
覚全て同じ事が言えまして、五感と申しましても私達は
実は単なる刺激としての感覚とエネルギー的な感覚の両
方を受け取る能力があります。そういう意味では五感で
はなく十感といってもいいのではないか。

そして刺激としての感覚をのみ意識しますと、そこには
エネルギーがないので存在の根っこがありません。

エネルギー的な意味での五感の感覚をしっかり体験して
ゆく事で存在の根っこがこの現実世界の中に張り巡らさ
れてくる実感があるのではないでしょうか?

574155:2022/10/09(日) 04:33:21
さて、私達が感じる五感の感覚には物質的な刺激の感覚
と同時に、なにか非物質的な感覚も、同時に感じている
のではありませんか?という話をしております。

五感ではなくて、人間は十感を使って生活している、と
いうのが正確ではないのか?ただ、物質的な刺激に比べ
ますと、この非物質的感覚はちょっと物質的感覚の方に
マスクされやすくて気がつきにくいんですね。物質的感
覚のほうが主張が強いわけです。

人間関係でも、陽キャの人の言い分や存在感にばかり気
を取られて、陰キャの人への気遣いが疎かになる、みた
いなところがありますよね?

575155:2022/10/09(日) 04:43:01
ところがクラスの中には陰キャの人も静かに座っている
わけですよ。そして賑やかな陽キャの人は陽キャの人で
付き合っていると楽しいわけですけれども、陰キャの人
に目を向けてしっかりと向き合って仲良くなってみると、
案外このタイプの方が陽キャにはない魅力をたくさん持
っていることに気がついたりするものです。

それなのに、陰キャの人は居ない扱いをしてしまうと本
当に居るのか居ないのかわからない。あれクラスにあん
な人居たっけ?居たけどあの人のことはなにもしらなー
い!なんてことになってしまいます。

576155:2022/10/09(日) 04:52:27
五感十感の話も同じです。

五感しかないと思っていると、陽キャしか居ないクラス
のように感じてしまって、確かに楽しいのは楽しいのだ
けど同時に底の浅い人間関係、底の浅い物質世界体験を
しているのかもしれないですね。

ところがクラスの中には陽キャも陰キャもいることに気
がついて陰キャの方の友達も作ってみましょう。すると
彼らは意外と物事を深く考えたり感じたり理解したりし
ているものです。そうしますと陽キャの友達だけでは得
られなかった人生の深みとか物事の深い見方を知ったり
理解出来るようになったりします。

577155:2022/10/09(日) 05:02:49
このように物質的な五感だけに目を向けて生活している
場合と、それにプラス五感した合計十感で生活している
場合では物事の感じ方、そこから得られる理解度とか認
識度が変わってきますし、当然人生の手応え、充実度、
生き方も変わってくるものです。

それでは五感+五感の合計十感とは何を言っているのか、
改めて説明してみましょう。私は最初に味覚のことから
説明いたしましたので、再度味覚から説明し直してみま
す。

578155:2022/10/09(日) 05:11:47
味覚についての私の体験から私自身の認識を申し上げる
と、味覚には単純な物質的刺激としての味覚と、それと
は別にその食品の持つ生命力というかエネルギーを感じ
ているような種類の味の二種類があります。
通常私達はこの二種類の味を同時に感じております。

同時に感じているには居るのですが、後の方のエネルギ
ーとしての味覚の方は、まるでクラスの片隅にぼっちで
座っている陰キャのような扱いを私達はしがちなのです
よ。

だから居るのは知ってるというか感じているんだけど、
居ない扱いなんですね。

579155:2022/10/09(日) 05:18:54
しかし感じてはいるんだから、もう少しこの意識エネル
ギー的な味の方に注意を向けてみましょう。そうすると
実は物質的な感覚としての味覚が強いだけでは私達はあ
まり味覚に対して充実感を持つことが出来ないことが分
かります。

物質的な味覚に片寄っている食品といいいますと、砂糖
をたくさん使用した工業製品の菓子なんかが代表なんで
すが、それらは食べて確かに甘い美味しいとはなるので
すが、なんと言いますか私の体験では本当のところの満
足感に欠けるのです。

580155:2022/10/09(日) 05:28:16
なんと言いますか、味に厚みがない。細い。一袋食べて
も必要な満足感に到達しないのでついお腹いっぱいまで
食べてしまいそうになる。それでも十分に必要な(意識)
エネルギーが確保されてない。こんな風に食べてもむし
ろ不足感を感じてしまうので大量消費しそうになる。
営業的にはこれで正解なのかもですが、不健康でありま
す。食べても止まらない依存性が出てきてしまうのです。

意識エネルギー的な方の味覚を意識し始めますと私には
この工業製品のお菓子の味の薄っぺらさがちょっと嫌に
なってきてしまったのです。

581155:2022/10/09(日) 05:37:40
そしてエネルギー的にもっとしっかりした、満足感のあ
るお菓子はないのか?と探し始めるようになりました。

いまのところあまり良い報告は出来ないのですが、手作
りの和菓子みたいな方向に行くのかもしれないですね。
スーパーに売ってるようなお菓子は和菓子にしても洋菓
子にしても工業製品ですのでそこまでエネルギーの大き
なもの有るのかな?という感じです。それよりも果物に
注目しています。果物も品による差は大きいのですが、
しっかり手応えのある味のものを感じやすいです。

582155:2022/10/09(日) 05:44:49
このように味覚に限って見ても、私の場合味についての
考え方が変わり、食品を買うときの基準や購買行動が変
わって参りました。また、エネルギーの高い食品にはど
んなものがあるのか、トライしてみようという楽しみも
出てきます。

とりあえず量があれば良い、安ければ良い、甘ければ良
いみたいな食事の基準が随分変わってきたのです。

このように味覚一つにしても、食事への認識、理解度、
満足度、行動などが随分変わって参ります。

583155:2022/10/09(日) 05:55:27
とりあえず今朝はここまでにします。

視覚、聴覚、嗅覚、触覚についてはまた後ほど検討して
みましょう。
それぞれの感覚について特徴があります。
私達は色々なことをごっちゃにして理解しているところ
があります。ごっちゃにしながら決めつけて判断してい
るところが多いと思うのです。
125氏はあの世があるならそれを自分にも信じざるを
得ないようにして欲しい、とご希望なのだと思うのです
が、そのご希望は少し微妙だなと私は思います。

584155:2022/10/09(日) 06:02:50
なぜかと申しますと私達は物質的世界に住んでおりまし
て、それはいわゆる霊界とは違う世界だと想定されてい
るわけですが、はたしてそうでしょうか?

確かに私達は物質的世界に住んでおりまして今まさに物
質的体験を重ねている最中ではあります。しかしその物
質的体験とは実は半分霊的体験でもあるのだ、なぜなら
私達の五感は物質的感覚と同時に霊的感覚をも感じてい
るのだから、ということを強く申し上げたいと思います。

585125:2022/10/09(日) 13:47:27
ふむ。

つい最近、知り合いの住職から説法を聴いた。
お経をあげる、と言う。唱えるとか読むもあるけどね。
ただ読んで声を発するのではなく、過去や未来に思いを馳せてリンクできるように
言葉を音叉のように共鳴させるつもりで、「お経をあげる」のだというような話だった。

まるで>>584にリンクするような話だと思わないか?

五感は物質的感覚と同時に霊的感覚を感じ取る受容器官ならば、
声を発する、リズムをとって音を発する。
音って何だろうね。

586155:2022/10/11(火) 02:39:01
こんばんは。

10日朝6時は満月でした。
私は意識の浄化は満月のイメージを使ってしております。
イメージですから、別に満月が実際に出ている必要は無
く、心の中で満月の清らかな姿と感覚を感じればそれで
いいのです。
しかし、やはり実際に満月を姿をきちんと見ておかない
と、段々イメージが弱々しくウソっぽくなってしまうの
です。

それで満月の日はできるだけ中天の満月を見て、目に焼
き付けるように心がけおります。

587155:2022/10/11(火) 02:48:53
残念ながら9月15日の満月は雨天で姿を見ることが出
来ず、8月も確か雲の中でしたから久しぶりの姿を見る
機会になります。

9日夜から満月浄化を始めて、チャクラの浄化と開花を
図りました。10日夜は月のエネルギーを体内に蓄積す
るワークと、過去の意識の浄化を試みました。今回は平
成元年度1年分に取り組んでみました。

過去の意識の浄化については以前にも説明したことがあ
りますが、月の光の浄化と日の光の浄化を試みています。
月の光は満月、上弦、下弦、新月と三つの浄化があるの
ですが、今回は満月浄化です。

588155:2022/10/11(火) 03:00:51
結果として今回チャクラの調整も過去の意識の浄化も上
手く行ったのではないかとの自己評価です。

次の機会は18日の下弦の月の日になりますね。

今回の過去の意識の満月浄化は1年分が1時間半かかり
ました。この計算で行くと五種類のエネルギーで最低5
回浄化でワンセットになります。一年分は7時間半、ほ
ぼ一日がかりの大仕事になります。

手帳に浄化の記録ページを作って、何月何日に何年分を
何のエネルギーの浄化したか分かるようにして管理して
おります。先はかなり長いですね。

589155:2022/10/11(火) 03:11:46
さて続きであります。

>585
音って何だろうね?


音は不思議です。
私は色々考えてゆきますと、存在とは、意識とは、その
本質は鳴り続ける音のようなものではないのか?と直感
的に感じております。

そこで音について研究しようとスピーカーを買ってみた
のですが大して研究が進まないうちにまず低音スピーカ
ーが壊れてしまいました。次にアンプが壊れてしまって
まだ更新ができておりません。

590155:2022/10/11(火) 03:27:35
さて、抽象的な「音」の話は措(お)いておいて、いま
は具体的な聴覚の話を進めましょう。>585はお坊さ
んのお経の話でしたね。お坊さんのお経と申しますと私
もいくつか体験がございますので、一番スレ125氏に
ならってまずその体験からお話しさせて頂こうかと思い
ます。

ただ時間も遅いので日が昇ってからということで今晩は
これで失礼させて頂きます。

591名無しさん:2022/10/11(火) 05:49:12
最初に断っておくと、俺は125氏ではない別の人。

色の感覚器官・空の感覚器官
感覚器官にもこの2種類があるという話と理解した。
色の器官は分子同士の化学反応を司り、
空の器官は目に視えないエネルギーを受け取る。
面白い。
空の器官でエネルギーをふんだんに浴びて、エネルギー的な骨太の「快」を味わい尽くすのなら、生きることに前向きになれるっていう主張も、そうだろうなと思う。
ただ、俺の個人的な主観は125氏寄りだ。
でも霊界とかは在ると思ってる微妙なところ。
その所感を文字にしてみたらポエムと化したけど、
折角書いたから投下させてちょ。

592名無しさん:2022/10/11(火) 05:50:20
(>591つづき)

創造神、迷惑なんだよ、( ゚д゚) 、ペッ
勝手に世界も俺たちもこしらえやがって。
頼んでないだろ。
創造神が勝手な思いで始めたこの世界、
本来何の意味もない、生きなければならない義務もない、義理もない、
生きる理由なんてない
肉体の維持機能に追いたてられるまま、こき使われてるだけだな、俺は。

唯物論の言うように
死が消滅であったら、どんなに楽か。
その場合、死は救いであり、解放なんだ。
死は解放となる。

輪廻し、あの世があるのなら
俺たちは死なないと言うのなら
永遠に続く生なんて、むしろ何の罰なんだ
永遠の命なんて、苦痛が過ぎる
疲れる 果てしない
消え去って楽になりたい
生きている責任に潰れる
生という重荷を降ろしたい
死が永久的な消滅であるなら、むしろそうであった方が俺は救われる。
ホッとする。

だが、一方でこうも思う。
分子をいくら集めても
そこから「意識」が発生する気がしない
物と心は別物で、
物を組み立てたところで心が生まれるとは思えない
いくら精緻なシステムを構築しても
内側からの視線(=意識)は生まれ得ない
システム自身は意識を生まない
意識とは別のところからやってきて「宿る」ものだ
物質世界からは生まれ得ない、創り出せない
俺たちが意識を持ち、内側から世界を眺めているという事実、それ自体が、
即ち物質ではない世界が存在することの証左であると思う
意識とはこの世の物ではない
俺たちは、この世の物ではない
俺たちは、物質ではない

593155:2022/10/12(水) 02:16:29
>591

こんばんは。
591さんの考えと私の考えは少し違うのです。591
さんは私の主張を、「我々は肉体的な感覚器官と同時に
霊的な感覚器何(霊体の備える五感)を駆動して、それ
らを同時に感じている」と理解されているように見受け
られるのです。

しかし、私の考えは我々の肉体の五感、つまり眼球や耳
や鼻や舌や皮膚は、物理的な刺激と同時に霊的な刺激に
も弱い反応をしている、という認識です。

これは考察しますと、霊的な刺激の中には、大変物質世
界と近い種類の刺激も含まれているのだ、とも解釈でき
ます。

594155:2022/10/12(水) 02:26:17
これをまた別な表現を試みますと、みんな大好き「波動」
という言葉を使いまして、「霊的領域には物質的波動世
界と極めて近い波動領域が存在していて、肉体の感覚器
官はそうした波動領域の一部の刺激を感受することが出
来るのかもしれない」という言い方ができると思います。

そして私の実感で言いますと、この霊的な刺激に対する
感覚は物質的刺激と比べますと弱いのでマスキングされ
てしまうことが多いのです。つまり、「目に見えるもの
しか無いのだ」という風に思わされてしまうと、あって
もなかなかその存在に気づけない。

595155:2022/10/12(水) 02:36:58
私達は表向き、目に見える物質世界だけが存在していて
霊的な世界は無い扱いの設定になっております。しかし
一方では霊的な世界も在るんじゃないか、いややっぱり
無いんじゃないか?霊的な世界は無いはずなんだけど、
やはりそれでも霊が憑いてる、なんて脅されると怖いで
すし深夜のお墓も怖いものです。こんなふうに霊的世界
の存在に対してははっきりしない態度を維持していてい
ます。

「ある」とはっきり言うと笑われたり引かれたりするか
もだけど、かといって無いものとして押し通して生活す
るには怖い場面がある。

596155:2022/10/12(水) 02:49:54
しかも、誰かが亡くなると、いままでほとんど強要されて
いた「あの世はありません」と言う態度をとり続けている
と今度は逆に白い目で見られてしまう。あの世は当たり前
にあります、あの世でも幸せに過ごしてね、とハラハラ涙
を流さないと常識を疑われる。そんな精神分裂のような世
界に住んでいるのです。

考えて見ますと世間の建前である「物質的な世界が全てな
んだ」というモノの見方は、肉体的な目、耳、鼻、舌、皮
膚の感覚という肉体的五官の感覚の世界が絶対だとする立
場に立っております。

597155:2022/10/12(水) 02:57:28
一方、近しい人や推しの人が亡くなった時の悲しみ悼
(いた)む心は人の心の素直な部分から出た反応であ
ります。
それは世間の建前には背くのだけれども、それが人と
しての素直な気持ちなのだから、と社会的に理解され
ていて、正当性を与えられております。

でも本当でしょうか?
どちらかが正しければどちらかが間違っているに決ま
ってます。
こんな精神分裂のような態度を取る社会、大人の世界
なんて嘘っぱちだーーーッ。って誰かに反抗されても
仕方ありません。

598155:2022/10/12(水) 03:05:17
しかしですね、五官が感じる五つの感覚には実は物質的世
界の感覚成分と霊的世界の感覚成分が混じっているのだ、
というふうな考えに立ちますと、モノの見え方は全く異な
って参ります。

世間の建前は物質的世界の感覚成分に対応した対処の仕方
であり、また故人を偲(しの)び冥福を祈る感覚は霊的世
界の感覚成分に対応したそれぞれ自然な対処の仕方である、
と理解出来るのです。

599155:2022/10/12(水) 03:14:01
ただ問題は、私達が自分自身の感覚を素直に信じていな
いことですね。そして色々な場面で、様々な設定によっ
て、感じ方考え方がねじ曲げられ操作されてしまってい
ることだと思います。

私がこのことに気がつくようになったのは、身体の感覚
に意識を向けたからでした。身体との対話ですね。

さて591氏の投げかけた様々な疑問についてここで対
話を始めてしまいますと一番スレ125氏に向けたお話
が途切れてしまいます。そこで591氏のお話はまた次
の機会にすることにいたしましょう。

では失礼。

600名無しさん:2022/10/13(木) 11:22:15
かなり冷え込んできましたねー
これから鍋の美味しい季節ですが
出来立て熱々が食べられるっていいですよね

ところで、アーユルヴェーダでは出来立てを食べるのが最上とされ、
作り置いたものはプラーナのない生きていない食べ物なので食べない方がいいそうです
単純に腐ったりなど衛生面の問題もありそうですが
確かに出来立てを食べるのと作り置きしたものを温め直して食べるのとでは、同じ料理でも何か違う気はします

601155:2022/10/14(金) 00:28:11
>600

こんばんは。結局私が感じているのは「気」の知覚につ
いてのことだと思うのですが、仰るとおりできたての料
理と時間が経った料理では何かが大きく違うかんじがし
ますね。
これは「プラーナ=気」と考えることで良く理解出来る
のではないでしょうか?

作り置きすると気が抜けてしまった料理になる、という
ことだと思います。気、即ち意識エネルギーであります。

602155:2022/10/14(金) 00:42:00
結局私達の身体は物質的な刺激に対して化学的な反応を
起こし、様々な変化を生じます。私達の意識はそれを感
じますと、綺麗だ、汚い、美しい、うるさい、良い匂い
だ、臭い、美味い、まずい、すべすべだ、ざらざらだ、
などと感じます。

そうした五官の感覚に対して今度は好きだ嫌いだの感情
が生まれ、いい気分だ嫌な気分だのムードが生じますね。

そうしますと次は、ああしたいこうしたい、ああしなけ
ればこうしなければという欲望や、あれはなんだこれは
何だろうと見たい知りたい感じたい人間本来の好奇心が
湧き起こって参ります。

603155:2022/10/14(金) 00:48:34
この物質的な化学変化と同時に、私達の身体は気の変化
に対しても敏感に反応し、また様々な化学変化を誘発さ
れているのではないか、ということです。

私はこれまで物質的世界と意識世界は連続体である。断
絶しているように見えるのは落差が大きいだけで実際は
断絶しているのではなく連続しているのだ、ということ
を何度か申し上げました。

そもそも本当に断絶しているのであれば相互の行き来は
不可能であり互いに感知することは適(かな)わなくな
ります。

604155:2022/10/14(金) 00:54:56
ところが実際には、例えば霊能者と呼ばれている一群の
人々がいらっしゃいましてあの世とこの世を結んで人々
の良き相談相手になっていたりします。
また私達自身やその近しい人々が様々な霊的体験をして
いたりするものです。

これはどういうことかというと、本来繋がっているから
通じることが出来るのであって、実際は我々が思ってい
る以上にあの世とこの世は近い関係になるのではないで
しょうか。

つまりあの世とこの世は紙一重、というより重複してい
ると言って良いかもしれません。

605155:2022/10/14(金) 00:59:28
つまり、「気」というものを通じてあの世とこの世は重
複しているのだ、そのような理解が出来るのではないで
しょうか?

そして私達の五官は物質的な刺激と同時の気の刺激をも
感じ取ってその感覚を私達の意識に伝えているのだ、こ
のように考えることが出来ると思います。

そう考えますと例えば故人の霊前に好きだったものをお
供えする、などの行為の意味が良く理解出来るようにな
ります。

606155:2022/10/14(金) 01:09:53
即ち私達は物質的なタンパク質や脂質、炭水化物などの
持つカロリー、即ちエネルギーを摂取することができ、
それによって肉体を維持しているわけです。

しかしこれらの食品には同時に気のエネルギーも含まれ
ており、こうした気のエネルギーの摂取も私たちの健康
な肉体維持のための必須な栄養素として重要なのだ、と
考えることが出来るのです。

つまり気が満ちた新鮮な素材で調理した、調理し立ての
新鮮な食物を食することが健康維持の一つの重要な要件
になってくるのではないか?ということですね。

607155:2022/10/14(金) 01:21:33
ではこの気がどこで入ってくるかと考えますと、まず食
物自身の生命力としての気があります。そして調理した
り、その食材や食に携わる人々の気というものもあるの
です。

こうした両者の気が最高の状態でバランスを保っている
のは、良い食材を新鮮な状態で調理したての料理である、
ということができますね。そうした料理は本当に美味し
くて命を養う感じがするものです。

一方で、良くない材料だったり何日も経って気が抜けて
しまったような料理だと味はあっても本当のおいしさが
欠けています。食事というより餌になっているようです。

608155:2022/10/14(金) 01:29:00
こうして気というものを通して食事を見直してみますと、
食材に対しても、生産者や輸送などの中間業務に携わる
人々、そして調理する方々に対してもものの見方が変わ
ってくると思います。

例えば「食べ物に感謝する」といいますが、その感謝の
意味づけが従来とは変わって参りますし、また食に携わ
る生産者、中間業者、調理者全てが幸せな気や元気な気
に包まれていることが望まれてくる、と思います。

社会の在り方にも関わってくることなんですね。
なかなかお坊さんの読経の話までたどり着けないんです
が今晩はこれで失礼します。

609155:2022/10/14(金) 14:05:12
こんにちは。

以前は時々ゆで卵を作って保存食的に冷蔵庫に保管して
取り出しては食べる、と言うようなことをやっておりま
した。

600氏のおかげで新鮮な食材を調理後すぐに食べるべ
き、という認識を得たので今日は必要な分だけ(2個)
をゆで卵にして、暖かいうちに食べてしまいました。

お前は食べ物と気について解説しているくらいだから、
そのくらい不断から当たり前にやっているのだろう?と
思われるかもしれませんが、そういうものではありませ
ん。

610155:2022/10/14(金) 14:11:04
実は人間の意識の性質を観察しておりますと、理屈の上
では確かにそうなんだけど、具体的に言われるまでは認
識できていない、ということは多いと思います。

これが自分にとって当たり前のことでも、人によっては
言われるまで分からない、あるいは言われても理解出来
ない、というよくある現象になって現れていると思いま
す。

私も食物の気について、考えて見るとなるほど詳しく考
察は出来るのだけれども、ではふだんからその考察通り
の食事を出来ていたかというと全く反対だったのです。
食事と気の関係について認識がなかったからです。

611155:2022/10/14(金) 14:16:34
そうしますと、具体的にこれはこうだよ、あれはああな
るんだよ、と一つ一つ手に取るように説明して下さり、
教えて下さる方によって私達は一つ一つ新たな認識を得、
知識を増やしてゆく事になります。

私も600氏が、食事は作りたてを食べるのがいいんだ
よ、と教えてくれたことで食事と気の関係の認識に至り、
今までのの自分の食生活の悪かった部分を認識すること
が出来、新たな知識として早速実行実践することで珍し
く美味しいゆで卵を頂くことが出来た、という流れにな
ります。

612155:2022/10/14(金) 14:24:01
食べてみますと、今までしばしば食べていた一週間前に
茹でて冷蔵庫に保管しておいた冷たいゆで卵とは、確か
に雲泥の差なんですね。

なるほどうまさが染み渡る。いわば死んだゆで卵と生き
たゆで卵の差というのでしょうか、ちょっとわかりにく
くて気がつきにくいかもしれないのですが生きる活力が
感じられるんです。

気がつきにくいけれども、この差は大きいのかな?いつ
もいつも気の抜けた死んだ食材を食べているのと、気の
満ちた食材を食べているのではその人の精神や運命まで
違いが出てきそうな感じがあります。

613155:2022/10/14(金) 14:32:13
そうしますと私はいままで食事を作る面倒くささを省く
代償に、食事から得られる気、活力を差し出していたの
だ、ということになりますね。あまり割りの合わないト
レードをしていたことになります。

今食べたゆで卵は活力と言いますかね、気が溢れている。
エネルギーがある。エネルギー(気ですから意識エネル
ギーですね)は私の心の状態、意識の状態を変化させ
る能力のことです。どんなに方向に変化させたかという
と心の熱、とでも言いますかね、生きる喜びってでも言
いますかね。
エネルギーは喜びなんですね。食べる喜びですよ。それ
がある。

614155:2022/10/14(金) 14:41:22
人生の活力、喜びって、どこから湧いてくると思います
か?
一つは適切な食事や睡眠、運動ですよ。食事や睡眠、そ
して運動によってエネルギーを吸収し循環させてゆく、
この体験が喜びなんですね。

もうひとつは人間関係ですよ。人と人との間でエネルギ
ーを正しく循環させてゆく、この体験がやはり喜びなん
ですね。人と人ですから具体的には親子関係、兄弟関係、
隣人関係、友人(男女関係含む)関係になりますね。

そしてもう一つは自然とのエネルギー循環なんですよ。

615155:2022/10/14(金) 14:47:45
つまり、肉体のエネルギー循環、相手とのエネルギー循
環、そして自然とのエネルギー循環、この三つの循環が
滞りなければ人は充実を感じて幸せでいることが出来る
と思います。

これらの循環がスムーズであるためには、やはり多くの
知識が必要になってくるわけですし、そうした知識を教
え合うことは大きな愛の行為である、といえると思うの
ですね。

それはそんな大げさなことではなくて、600氏のよう
なさりげないつぶやきが、すでに大きな愛の行為になっ
て私の前進を促していた、ということであります。

616155:2022/10/15(土) 00:52:45
こんばんは。

ゆで卵の続きです。
ゆで卵なんていつでも食べてるようで実は暖かいゆで卵
をたべたのは随分久しぶりです。それまで何も思わずに
食べていたわけですが、今回その食べてみて本当に美味
しいなと思いました。

そしてこのゆで卵を食べたときの食事による意識エネル
ギーがどれだけの間私の意識に変化を与え続けられるか、
観測してみました。そうすると、私の体感では強い変化
を約3時間観測することが出来ました。

617155:2022/10/15(土) 00:57:52
その後弱い変化に移ったのですが、その持続時間は四、
五時間程度であったようです。

その後菓子を食べたのでそれ以降の影響の観測は出来
なくなってしまいました。

このような問題意識を持ったことも、意識エネルギー
の観測を試みたこともこれまではなかったことなので
とりあえず報告だけしておきます。
600氏の鍋の話が思わぬ展開となってしまいました。

618155:2022/10/16(日) 03:20:34
こんばんは。

意識エネルギー(または「気」)の性質については、実
はあまりにも身近すぎるために私達にはかえってよく分
かってないところがある、と思うのです。

意識エネルギーと名付けるとなにか特別なモノとか、普
通の人にはよく分からない特別な人だけが感知できる私
達とは無関係な霊的な話、というふうに考えてしまうか
もしれません。

しかし実際はそうではありません。
一秒一秒過ぎてゆく日常の中で常に私達が感じ動かされ
て、一喜一憂している生活体験そのものなのです。

619155:2022/10/16(日) 03:30:50
ところが日々体験しながら、ただ目に見えない触れられ
ないと言う理由で見過ごされ、気づかれずにきた分野で
もあります。

そして不思議なことに、意識の世界ではたとえ存在した
としても、存在して機能しているだけではダメなんです
ね。存在を認めてもらわないと、始まらないんです。
ですから、意識エネルギー、「気」の存在に気づくとい
うことは、「気づかないモノに気づく」、あるいは「気
づかない存在に気づく」という意識体験である、という
ことが出来ます。

620155:2022/10/16(日) 03:51:47
そしてその意識体験、つまり「気」の存在、見えないエ
ネルギーの世界に気づくという体験は、物質文明から精
神的文明へと飛躍してゆくキーとなるでしょう。

なぜなら物資的利害によって組み立てられた現代文明の
価値観のなかに、「心」の価値観を導入することになる
からです。その「心」の価値観とは、より私達の存在の
本質に近く、私達多くの人々の意識体験に裏打ちされて
多くの人々からの納得の得られる価値観であることでし
ょう。

621155:2022/10/16(日) 05:42:17
現代文明、物質文明は「知性」文明だということができ
ます。
これは私も以前から繰り返し申し上げてきたところです
し、またこれまで多くの人々によって指摘されているこ
とでもあると思います。

ではそれと対立する概念はというと、「霊性」の文明と
いう言葉を考えることが出来ますよね?しかしながらこ
の地球上にある霊性の文明というものを考えると実際の
ところはどれもなかなか上手くいかなかった、それほど
素晴らしい社会を作れたわけでもなかった、と言えるの
ではないでしょうか?

622155:2022/10/16(日) 05:52:45
霊性に注目した社会というと、例えばインドネシアやイ
ンドなどのアジア諸国の文化とか、エジプトやアフリカ
諸国の文化とか、アメリカのインディアンの社会とか、
ケルトやポリネシアの人々の文化などが思い浮かぶと思
うのです。

しかしそれらの社会はあるいは自然の脅威に翻弄された
り、迷信が横行したり奇妙な社会制度が発達したり、ま
たは文明が発達することなく停滞の中に安住していたり
した歴史がありました。

結果として物質文明によって駆逐されていったわけです
ね。

623155:2022/10/16(日) 06:02:24
それは「霊性」、即ち目に見えない存在達がおり、その
存在達との交流・交信を重視したとしても、それだけで
は人間の幸せを実現することは出来ないことを示してお
ります。人間の幸せと申しますか、大きく出ればこの星
の幸せですね。この星とその星の上に住む全ての存在達
の最大幸福です。その降伏を保障する最低限の条件がい
わゆる「持続可能性」ということになるのでありまして、
今後も末永くこの星、地球の環境を維持してゆくことが
できるのか?というような話になるのです。

しかしながら、これは本当に最低限の条件の話ですよね。

624155:2022/10/16(日) 06:16:54
地球環境を持続させ、あるいはさらに進んでかつてのよ
うに美しく豊かな環境を復元し、その環境の元で人々や
生き物がより幸せに暮らすにはどうすればよいのか?
これが現在の私達一人一人に突きつけられている、集団
としての人類の課題ですよね。

その回答とそのための取り組みとは複雑多岐にわたる、
ということになるのでしょう。しかし実はこれを集約し
てゆくと割と単純に一つの理念に到達するのです。

625155:2022/10/16(日) 06:31:58
それはある意味手垢にまみれた言葉のようにも思われる。
でもいくら使い古されて汚れがついたかのように思われ
ていたとしても、実際にその言葉を口にしたり心に思い
浮かべる度に新鮮な輝きを伴って私達の心によみがえっ
てくるような言葉であります。
「愛」ですね。

そこまではいいんですが、じゃぁ「愛」って何?地球に
「愛」?何をしたらいいと言うの?ってなったときには
ハタと困るわけです。

ん?何をしたら良いんだろう?家庭ゴミをちゃんと分別
すれば良いのかな?……なんてね。

626155:2022/10/16(日) 06:36:06
そこに思い浮かぶ「愛」のイメージは例のイメージです
よ。
中高校生が夏休みや冬休みの宿題で、環境ポスターを描
かされたりしますが、その時に良く出てくるのが地球を
グルッと取り囲んで人間や動物が手を取り合っているイ
メージがありますね。あれですね。

私だけじゃないですよね?「愛」って何?ってなったと
きに、せいぜいそんなイメージしか出てこない、っての
がまぁ普通なんじゃないでしょうか?

つまり答えの言葉は分かっている。でもその言葉の意味
もなぜそれが答えかも分からない!って状態です。

627155:2022/10/16(日) 06:50:18
実はその答えを導くものが意識エネルギー、即ち「気」
の認識なんです。以前、「愛とはエネルギーの交流であ
る」という私の愛の定義のお話をしたと思います。
私は意識エネルギーの循環、あるいは気の循環という認
識を得ることによって「愛」の理解と納得が大変進んだ
のです。その結果どうなったかというと、「愛」が単な
る言葉としての「知識」から「行動」へと進化しました。

霊と身体、目に見えない世界と現実世界、知性と霊性、
これらを結ぶのが意識エネルギーの世界であります。

628155:2022/10/16(日) 06:55:14
意識エネルギーが見える世界と見えない世界を結ぶキー
となる、と申しました。
なぜなら意識エネルギーは見える世界にも見えない世界
にも存在して実際この両者を自在に繋いでいると思われ
ます。

ですから意識エネルギーは、何か特殊な能力を持った一
部の人だけの所有物というのではないのです。誰もが実
は毎秒毎分経験しつつある、ただ指摘する人がいないの
で気がつかない、そんな力であるわけです。

629155:2022/10/16(日) 07:05:58
ですから1番スレ125氏も、なにも私に見えない世界
の存在を確信させてもらう必要なんてナッシングなので
す。
ご自分で意識エネルギーを自覚し、意識エネルギー体験
を深めてみれば揺るぎない確信に至ることでありましょ
う。

そのために125氏がいままで物質体験だと認識してお
られた体験の中には、実は意識エネルギー体験の成分が
たくさん混入していたのだ、ということを更に実例を挙
げて説明させて頂きたいと思います。

ということで次から聴覚と意識エネルギー体験について
お話したいと思います。では失礼。

630155:2022/10/19(水) 21:52:18
こんばんは。

今週は大変忙しくて、なかなか時間を作ることができま
せん。毎日遠方へと行ったり来たりしております。
月曜くらいからは多少落ち着きそうですが、恐らくそれ
までは投稿は難しいのではないかと思われます。

話の途中で申し訳ないのですが、状況報告しておきます。

631155:2022/10/23(日) 23:57:25
こんばんは。

昨晩大阪から戻ってきました。某NPO法人を訪問して、
メンバーの皆さんや活動について学んできました。この
法人は10数年前に設立され、障害者の支援や社会の在
り方を良くしてゆくために自分たちの出来る活動をやっ
ておられます。
メンバーの皆さんの心が綺麗なのと、メンバーの人たち
が誰も取り残されずに活動されているのを見ると、ちょ
っと感動するものがありました。

632155:2022/10/24(月) 00:07:03
NPO法人という一つの組織の中で、愛の実践が具現化さ
れているさまを見ることができたのです。

というのは、社会的な活動をしたり福祉的な活動をした
りするグループはというと、ともすると中心になる人た
ち数人だけが輝いていたり、グループになじめない人が
いたり、なんだか押しつけがましかったり、なかに一人
二人取り仕切っている人がいてその人の機嫌を損ねては
いけなかったりとか、もろもろ面倒くさい事もあるもの
です。

ところが一泊二日で訪問したこのNPOは一緒に居るとメ
ンバー全員が主役という感じが伝わってくるんです。

633155:2022/10/24(月) 00:17:26
何の主役かというと、自分が自身の人生の主役なんだ、
という感じで、指示されたり命令されたりではなくご
自分の意志で動いている、というふうに見えます。そ
れだけ意思疎通がスムーズなんだと思います。見てい
て気持ちいいのです。

この気持ちよさ、そして一人一人の存在が自然な形で
尊重されている状態はどこから出てくるのだろう、と
考えますと、おそらくは彼らの「社会をもっと良いも
のにしてゆこう」という目的意識から出てきているの
でしょう。

この体験についてはまた機会があれば詳しく報告した
いと思っております。

634155:2022/10/24(月) 00:33:39
さて、聴覚と意識エネルギーについて、いくつかの私自
身の体験をもとにしてお話してゆきたいと思います。

私達は通常言葉で喋らなければ相手の意志を知ることは
難しいです。
ではその言葉はどうやって学ぶのでしょうか?言葉を知
らない状態で生まれたのに、どうして分からない言葉の
意味が分かるようになるのでしょうか?

人が口から出す音の意味をあれこれと想像してみて、状
況や人の反応から、推理の果てに言葉の意味にたどり着
いているのでしょうか?

635155:2022/10/24(月) 00:39:28
私達は当たり前のように言葉を喋っているわけですが、
考えてみるとこれも不思議なことですね。

私達が言葉を学ぶ過程について、多分155スレに書い
たことがあると思うのですが、私自身の小さいときの体
験があります。

というのは私は小さい頃、大人と子供の意識の差異がと
ても不思議で、あまりに不思議なために自分が大人にな
ってゆく過程のことを大人になっても忘れないようよく
観察しておこうと思っていたのです。言葉を覚えること
についても不思議ですから自分自身の体験を観察してい
たわけです。

636155:2022/10/24(月) 00:44:11
大人と子供の意識の差異というのは、幼い頃の私から見
ると大人の知識と知恵の量が半端ないので、全く自分と
は違った生き物・存在に思えたのです。そして年を重ね
て身体が大きくなったとしても、果たして自分が周りの
大人のように何でも知って対処できるような存在になれ
るのだろうか?あまりにも差がありすぎるので、とても
将来自分がそのようになれるとは思えませんでした。

今晩はここまでにして次回はまた明日に。

637155:2022/10/28(金) 00:21:57
こんばんは。
時間が取れないので少しだけ。

さて、当時子供だった私が大人達が知らない言葉(単語)
を話すのを聞くと、当然辞書に書いてあるような言葉の
意味はわかりません。つまり、ある単語を別の単語を使
って説明するような事はできません。しかしその言葉が
使われているのを聞くと、何となくむずむずするような
その言葉のイメージが湧くのです。

そこでその言葉の意味を母親や父親に聞いてみますと、
別な言葉で言い換えた説明が返ってきます。

638155:2022/10/28(金) 00:32:10
母親や父親の説明する言葉(単語)の意味は、たいてい
は私の感じたムズムズモヤモヤを解消してくれるわけで
す。こうして私は少しずつ語彙(ごい)を増やしていっ
て、使えたり読めたりする言葉の数が増えていったわけ
です。

しかし時にはなんか変だなぁ?ムズムズとは違う感じの
説明だなぁと感じることもあります。そういうときはそ
の言葉を自分の中で使ってみることがありました。そう
すると自分としては、「その言葉を説明しなさい」と求
められると難しいのですが、ちゃんと文脈の中で使える
のです。

639155:2022/10/28(金) 00:39:27
ですから、意味を言葉で説明する、というのは難しいの
ですが、その言葉の原始的なイメージとでも言いましょ
うか、それはちゃんと理解出来ているのです。そして使
いこなせるのですね。

こうした言葉のイメージというのは、あれこれ考えて思
い浮かぶ、というのではないんです。聞いた瞬間にモヤ
っとして、手に掴(つか)めそうだけど掴めない感じで
イメージが湧いてきます。

それではこのイメージを浮かべる能力はどこから来てい
るのでしょうか?

640155:2022/10/28(金) 00:46:31
文脈の中で類推しているのでしょうか?
それとも一種の霊的能力で、言葉を発する相手の意識が
伝わってきているのでしょうか?

私はどちらでも無いと思います。
文脈の中の類推でない理由は、文脈と言うには足りない
ほどの短い言葉、話を耳にしても同じような現象が起こ
るからです。

相手の意識を読んでいるのではない理由は、私は本当に
相手の気持ちに鈍いところがあったので、相手の意識が
伝わってくる現象とは考えにくいのです。

641155:2022/10/28(金) 00:53:20
これに関しては、私は万人が持っている普遍的な能力で
はないか?みんなが持っていて、人が言葉を覚えるとき
の必須の能力なのではないか?と考えています。

つまり、人は霊能力を求めなくても、五官の感覚、この
場合は聴力なのですが、通常の聴力と発声で、言葉を介
して意識エネルギーをやりとりしているのではないか?
言葉を覚える、という誰もが経験した現象は、その一つ
の事例なのではないか?と思うわけです。

今日はここまでにして、明日は声と意識エネルギーの、
別の事例を説明します。

642155:2022/11/02(水) 02:03:43
こんばんは。

ちょっとまだ忙しいので落ち着いて書き込み出来ないの
ですが、とりあえず報告しておきます。
前スだったかでご質問のあった、意識の浄化を図るのに
月の呼吸は有効なのか?という問題についてのご報告で
す。有効だと思うので実験の結果は後ほど報告します、
と以前お伝えしていました。

また、途中経過として、上手くいっているように思う、
と経過報告を入れたと思います。

643155:2022/11/02(水) 04:11:23
>642
前ス→このスレの174氏
過去のテープを月日指定するだけで実際にその時の意識
を浄化出来るのか、と言う内容でしたね?イエスです。


これは、一昨年初夏頃からだったでしょうか、意識の浄
化に取り組み始めました。それ以来週に何回か時間を作
って月の呼吸と太陽の呼吸での浄化作業です。

ところがそれだけでは意識の表面は浄化出来ても内面の
浄化までは難しいことに気がきました。そこで意識の中
の過去の記憶を「意識の記録テープ」としてイメージし
てそのテープの浄化を図る、と言う方法を考えたのです。

644155:2022/11/02(水) 04:21:17
それで、一年分のテープをクルクル回しながらを30分
から一時間ほどかけてイメージの月の浄化の光や太陽の
浄化の光やらを当てて綺麗にしてゆきます。

またこの応用で、チャクラの浄化もしてみました。

その結果なんですが、まだ過去十年分くらいの浄化しか
手を付けてないと思いますが次のような効果を体験して
おります。

①エネルギーの送受信中に雑念がなく集中できるように
なった。
②相手に対して否定的な心の言葉や怒りの心の言葉があ
まり湧かなくなった。

645155:2022/11/02(水) 04:24:52
③たとえ否定的な心の言葉や怒りの言葉が湧いたにして
も自分で心の中で距離を置いて見ることが出来るように
なり、それらの言葉に支配されなくなった。

①②③どれもとても大きな変化だと思っております。詳
しくは後日説明します。

では失礼。

646155:2022/11/10(木) 13:30:35
こんにちは。

満月の度に何かが更新されてパワーアップしているよう
な実感があります。今回の満月でも送信能力がかなりア
ップした感覚です。

前回、能力者の方に相談したときに、送信能力を100
倍アップする必要がある、と言われました。単純に計算
すると3倍アップを4回ほど繰り返して81倍なので、
当面これが目標です。それで、多分前回能力者の方に言
われてから今日までに3倍程度のアップに成功したと思
うので、また近々確認に行こうと思っております。

647155:2022/11/10(木) 13:36:37
なにが能力アップのきっかけになっているかというと、
やはりものの見方の小さな変化だと思います。

空間というのは隔てるものだ、とか、力は外から吸収す
るものだ、とかの思い込みを少し変えてみて、空間があ
っても存在と存在は本当に隔たっていないといけないの
だろうか?(いやそうではない)。などと考えて送信し
ますと送信能力がアップしています。

力は外から吸収しないといけないものだろうか?(いや
そうではない)。と考えて内からエネルギーが湧き上が
ってくるイメージで送信しますとやはり送信能力がアッ
プしているようです。

648155:2022/11/10(木) 13:46:41
で、ちょっとまた横道にそれた話になってしまうのです
が、エネルギーワークの実践をしておりますと意識のエ
ネルギーについて考える機会が多くなりました。私達の
意識、心とは何か、我とは何かと考えていきますと、結
局それは「我在り」というエネルギーの活動なんですね。

それではそのエネルギーは具体的にどう働いているのか
というと、我々の意識体の中にエネルギーは蓄えられて
いるわけですよ。食事や睡眠、人や自然との接触などに
よってもエネルギーは蓄えられていきます。そのエネル
ギーは形を持ち、目的を持って外部に放出されます。

649155:2022/11/10(木) 13:54:39
エネルギー自体は本来は形がないのですが、放出される
ときには何らかの目的を持ち形を取ります。
そこはどのようになるかと申しますと、人が言葉を思う
ことによって目的を持ち形を取って放出されるわけです。

言い換えますと、人の思いの言葉はエネルギーに目的と
形を与えて放出する行為である、と言えるのですね。
人は常に心の中で様々な言葉を呟いているものです。子
供だろうと大人だろうと、心の中が静かな人は案外少な
いと思います。つまり子供だろうと大人だろうと、常に
人はエネルギー放出してる事が多いのです。

650155:2022/11/10(木) 14:00:29
さてこれが、「言葉の力」の本質であろう、と私は思い
ます。

仏教の八正道では「正語」という言葉があるのですが、
まず人は己の心の中で正しく呟くこと。いやそもそも呟
かないことを学ぶべきではないでしょうか。

実は心の中でいつも誰かと戦って言い争ってやり込めて
いる人も少なくないんです。まず心の中のそういう争い
の想念、心の中の争いの行為から離れることが大切でし
ょう。

651155:2022/11/10(木) 14:07:22
「言葉」とはエネルギーに形と方向性を与えて放出する
力であり、行為である。そのように考えられるのです。

そして心の中のつぶやきを少なくし、滅してゆくには、
心の浄化が有効ですよ、ということを申し上げておりま
す。まぁ心の中のつぶやきを滅するのは積極的な方向性
(というか動的な方向性)と消極的(というか、静的)
な方向性の二つがあるのですが、浄化は静的な方向性の
手段です。月光浄化、日光浄化については上で説明いた
しました通りです。

652155:2022/11/10(木) 14:16:22
さて私事になるのですが、今後直接人と会って語り合う
機会が増えてゆくだろうということを申し上げておりま
した。実際10月に入ってからそういう機会がとても増
えました。

実は明日も東京へ行って人と会うことになっております。
人とのつながりを増やすサイクルに入っているんですね。
そしてこれが私の今のテーマの一つである「平等心」の
追求と理解にも大いに役立ってくれるのです。

いずれ差別心と平等心(これが文明の乗り越えるべき壁
なんですが)についても語る機会が来ると思います。
今日はこれで失礼します。

653155:2022/11/14(月) 02:56:54
こんばんは。

金曜、土曜と今一緒に勉強している学生と一泊で八王子
を訪問して参りました。目的は八王子にお住まいのMさ
んに顔つなぎしてお友達になることです。

Mさんは三十年ほど前に家を飛び出して八王子で生活を
始めたのですが、脳性麻痺の障害があります。田舎で親
に面倒を見てもらう生活から一転して始めた一人暮らし
には、まだ障害者には優しくなかった時代ですから本当
苦労があったようです。そんな苦労は分かったうえで、
それでも親に養われるままの生活のには未来がない、と
見抜いて真剣に悩んで飛び出したのですね。

654155:2022/11/14(月) 03:09:18
先月は大阪のMさんとTさんを訪問しました。彼らは脳性
麻痺ではないのですがやはり障害を抱えています。しか
し八王子のMさんも、そして大阪のMさんやTさんも、自
分の周りから着実に社会を変えてゆこうと活動されてい
る方なのです。実際にその活動はゆっくりとだけれども
確実に社会を良い方向に変えてきているのです。

その一つがバリアフリー活動です。いまは様々な建築物
や公共施設で当たり前になってきたバリアフリーの考え
方、段差の解消や駅などでのエレベーター設置の推進で
すね。

655155:2022/11/14(月) 03:17:17
今回の旅行でもお年寄りやベビーカーを押すお母さんや
など多くの方が駅のエレベーターを利用していて行列が
出来ているのを見ました。こうしたバリアフリー化は一
つは高齢化社会への対応として進められてきた面もある
のですが、障害のある当事者達が交通事業者や行政と交
渉の場を持って五年、十年、時にはそれ以上の時間をか
けて何度も強力に要請してきた結果でもあります。
そうした努力と執念が、「お金がかかる」として消極的
だった事業者の態度を変えてきたのですね。

656155:2022/11/14(月) 03:26:08
最初は事業者側には「一部の障害者のためだけになぜこ
んな投資をしなければいけないのか」という意見の人も
いたようです。そう考える気持ちもわかります。

もちろん、「障害のある人にも使いやすい交通や施設で
あるべきだ」と考える事業者側の人もたくさんいたわけ
です。
しかし事業は利益を出すことが求められます。利益を出
すどころか、一見すると手間とお金が飛んでゆくとしか
思えないバリアフリー化はなかなか事業者側が決断する
までには時間がかかったようです。

657155:2022/11/14(月) 03:41:05
「障害者が我が儘言っているだけだ」というような意見
もあったようなのですが、しかしエレベーターができあ
がってみると決してそうではなかったことが明らかにな
ってきます。足腰の弱い方やベビーカーの方はもちろん
ですが、特に女性にとっては大荷物の時に喜ばれる設備
でした。

結局、障害者に優しくすること、障害者も健常者と同じ
ように社会の一員として普通に暮らしてゆけるよう気を
配り社会を整えてゆく事、それは社会全体が快適なもの
になることに繋(つな)がっていたんですね。

これは大変興味深い事例であると思います。

658155:2022/11/14(月) 03:50:11
いわゆる社会的弱者を大切にする、ということは社会全
体にとってもとても大切な事ではないでしょうか。
社会的弱者というと、乳幼児、お年寄り、障害者。最近
はLGBTとかも入るのでしょう。

LGBT運動には拒否感を持つ人も多いと思います。
物事には光の面と闇の面がありまして、まぁ闇ではなく
てせめて陰くらいにして欲しいんですが、LGBTにもそれ
をお金や地位の手段にしようとしている人たちもいます。
そんな輩(やから)には私もやだなぁとは思います。

659155:2022/11/14(月) 03:57:14
しかし素直に考えて見ますとLGBTで何がいけないんです
か?と私は思います。
ホモでもレズでもバイセクシャルでも別にいいじゃない
か人間だもの。

それで乳幼児やお年寄りを大事にする社会というのは普
通にこれまで私達が培ってきた文化だと思うんですが、
実は障害者に目を向けるようになったのは比較的最近の
ことなんです。具体的に言うと1970年代以降、障害
当事者が社会に向かって声を上げ始めたのです。かつて
無かった挑戦でした。

660155:2022/11/14(月) 04:06:34
それまで障害者がどれだけ差別されてきたか、というこ
とですね。

日本社会の差別問題には部落差別と並んで障害者差別が
大きな問題として長い間あったのです。部落差別の問題
は大正の時代に全国水平社が結成されましてすでに百年
を迎えております。この間強力な差別反対運動を実施し
てきて、全国の生徒さんは必ず人権教育を受け人権作文
を提出します。この人権というのがいまはいじめ問題を
テーマにすることも多いようなんですが、少し前までは
部落差別問題のことでして、障害者差別の問題は顧みら
れてなかったと思います。

661155:2022/11/14(月) 04:18:27
障害者に対する差別心は全くないという人も多そうです。
しかし差別心はあるけれど認めたくない人も多そうです
ね。
私はと言うと差別心はありました。脳性麻痺の人を見る
と気持ち悪いと感じていました。

五官の感覚で見れば動きは変だし言葉は言葉になってな
かったりしますし、中にはヨダレを垂らして平気な人も
います。
そうすると心はそれを気持ち悪いと受け取るのです。

学生の頃に通学路の路上で道具を広げて脳性麻痺の人が
仕事をしておりまして、そこを通る度にちょっとあの人
避けたいよなと思いながら歩いていました。

662155:2022/11/14(月) 04:27:01
それは五官の感覚だけで判断していたからです。

もしその人とお話しする機会があれば、五官の感覚だけ
の判断ではなく、五官を通しての意識エネルギーのやり
とりが始まりますのでその人の本質、即ち人柄や魂を感
じることが出来たでしょう。ですからその人のことを嫌
だな避けたいという気持ちは起きなかったかもしれませ
ん。逆に友達になりたいと思っていたかもしれません。

もっとも相手の本質を感じてもっと気持ち悪いと感じて
しまった可能性もあるわけなのですが。

663155:2022/11/15(火) 14:24:40
こんにちは。

ちょっとまた脱線するんですが、先ほど昼食を作ろうか
なと思っていたときにこんな句を得ました。

百年千年一瞬の間
(百年も千年といっても、目を一回瞬(またた)く程度
の時間に過ぎない)
万年億年欠伸に過ぐ
(一万年とか一億年と言っても意識・魂にとっては口を
大きく開けてあくびをして手を挙げて大きく伸びをする
程度の時間だ)

664155:2022/11/15(火) 14:34:08
少年老い易(やす)く老年は過ぎるに疾(はや)し
(ブイブイいわせていた若者もすぐに足腰の弱った老人
となってしまい、その老人に許された時間もアッという
間に過ぎてしまってこの世とはおさらばだ)
生まれ生まれ生まれ生まれて死に死に死に死に
(何度も何度も何度も生まれては死にの輪廻を繰り返す)
只暫時人間に身を潜めんと欲す
(まぁしばらくの間だけ、地上界で人間生活を楽しんで
みましょうか)

665155:2022/11/15(火) 14:41:22
これは何だろうと思ったのですが、漢詩のようであって
絶句でも律詩でもないですね。韻律だってちょっと合っ
てるのかなと思うところもあるけど後半なんて絶対合っ
てないと思います。
私の漢文漢詩の知識は大学受験生程度ですのです。いく
らインスピレーションを送ってもらっても受け手の知識
が低いのですからまぁこんなもんでしょう。

それでどっかで見たような文句もたくさん並んでいるわ
けですが。

666155:2022/11/15(火) 14:52:37
しかしその意味といいますか、詩句の作者のものの見方は完
全に違います。
例えば元ネタの「少年老いやすく学なり難し」という言葉は
仏教的な無常観を下敷きにして、過ぎ去った年月や二度戻ら
ない若さへの、若さの無駄遣いを哀惜(あいせき:悲しみ惜
しむこと)する表現として知られていると思います。

ところが上で得た句は全然違います。そもそも人生なんて、
魂・意識にとってはアッという間に過ぎてゆくものなんだ。
地上に居る時間はそれほど短いものなのさ。それが当然で
当たり前なんだ、って言ってます。

667155:2022/11/15(火) 15:02:53
そして元ネタで言うと、人生は短く貴重なんだから、一
瞬も休まず勤勉に努力して目標達成!って方向性なんで
すけど、上の句は違います。まぁモチツケ、魂にとって
は一億年だって背伸びする程度の時間じゃないか、あく
せくするのが人生じゃないぞ、って言うんですね。

なんで急にこんな句が浮かんできたのかしらと考えてみ
ると、どうも老荘系の方(方々?)が新たに指導霊団に
加わるようです。それで挨拶でこんな句を送ってきたよ
うです。

668155:2022/11/15(火) 15:13:39
「生まれ生まれ生まれ生まれて」という句も元ネタは弘
法大師空海作の割と有名な漢詩でして、その詩の最初の
句は「三界の狂人は狂せるを知らず」で始まる割と陰な
詩なんです。読んでいると身体や心が固くなりそうな詩
です。

ところが上の老荘の方の句は同じ句を使って全く違った
方向性を示しております。フラットな感じの陽?って雰
囲気ですね。読んでみると弘法大師の詩とは違って、そ
んなに固くならないで心と体をまずほぐしましょう、っ
て感じであります。

669155:2022/11/15(火) 15:25:06
同じ言葉、句であっても、心の持ち方、見方によって意
味や方向性が全く違ってくるのはおもしろいですね。
そしてモノの見方が大切だ、というのは実はこの点にあ
ると思います。モノの見方とか心の持ち方というのは、
私の立場から言えば実はすでに結論・結果を含んでいる
んです。

生まれ生まれ生まれ生まれるという事実は一つ、更に申
し上げれば世界は一つなのですが、それを見る人の見方
によって、仏教的な立場の弘法大師の見方と老荘の方の
立場の見方は全く異なり、そこから出される結論も違っ
てくるのです。

670155:2022/11/15(火) 15:27:59
片一方は「諸君!目を覚まして物事を正しく理解せよ!」
だし、
もう片一方は「モチツケ。一発欠伸でもして背伸びでも
してみようぜ」ですからね。




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