したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

業務連絡 3

1155:2021/11/24(水) 20:20:08
たてました。

2155:2021/11/24(水) 20:56:16
>前スレ1000

難しいこと言うひとキター!!
よく分からないけど、千と呼べ!と言ってることだけは理解し
た。

でもね、貴方の本名は多分千尋じゃないからあなたのことを
「千」と呼べと言われてもね。あえて呼ぶなら、「お千さん」。

そして釣り針を垂れずに怪魚を得た私はたぶん太公望以上で
しょうよ。

3155:2021/11/24(水) 21:58:26
>前スレ 999 続き

大きな認識の変化があると、意識の中では自動的に価値観や考
え方が構成され直すらしい。これもまた良く考えてみるとなる
ほどその通りなのです。

そうするとそれまではどうしてもあれが許せないとかこれが我
慢できない。言わずにはおれないけれど言うと争いになるので
じっと我慢していてしんどい。その分心の中では相手をコテン
パンに言い負かせて泣かしてやった!なんて妄想を人間はいつ
もしているものです。いやこんな妄想していたらいけないと思
ってもなかなかやめられないのが自分の心ですね。

4155:2021/11/24(水) 22:08:57
いやいやこのような心ではいけない、なんとか仏のような清ら
かな心を、ってんでエイやっと頑張ってみたり瞑想してみたり
深く自分を振り返ってみたりして浄化して一瞬綺麗な心になっ
たような感覚がして心穏やかになってみたりもいたします。

しかしいけません。次の瞬間にはまた相手のにっくい言葉が心
のなかで蘇ってきたりしてちーんって音が鳴って心の中のボク
シングが再開したりいたします。

5155:2021/11/24(水) 22:41:04
こんなことをしながら人生というものは暮れていってしまう
ものなので、おらハァ〜、何のために生まれてきたんだべ?
って黄昏(たそがれ)てしまうものなんですね。

いやいやお兄さんお姐さん方、それはね、努力の方向が違う
んじゃありませんかい?そんなに力んで肩肘(かたひじ)張
らなくっったってものの見方を変えれば自動的に心安らかに
仏のような心境になりますぜ、ってのが私の発見です。

おや、これもどっかで何度も聞いたような話だ。聞き飽きた
よね。耳にタコができそうな説ですよねぇ。

6155:2021/11/24(水) 22:54:57
しかぁ〜しですね、どっかで聞いた耳タコ話には大きな欠点が
あるんです。それはものの見方を変えるとはどういうことなの
かっていう、一番肝心なところが曖昧すぎるんですね。だから
まぁ世の中にはいろんなものの見方の訓練法みたいなのがあり
まして極端なのになりますと2011年の155スレで登場した数字
のおっちゃんみたいに「全ては虚無だ」みたいなものの見方を
すれば人から何を言われても心動かさなくなるみたいな考えを
する人も出てきてしまいます。

7155:2021/11/24(水) 23:06:15
私は世の中の耳タコ話も一概に否定するつもりはありません。
ものの見方を変えなさい。本当は貴方は周りから多くのものを
与えられていて、貴方が変われば周りも変わってくるんだ、み
たいな教えであってもそれで救われて大きく人生変わって心が
安らかになる人もいるのかもしれません。

しかし私は思うんですけれども、それは心稚(おさな)き人に
限られるんじゃないの?って。様々な人生の矛盾を体験し、そ
れでも人間の本当のあり方を追求してきた人々にとっては、な
かなかそのような教えで納得も安らぎも得られす逆に矛盾する
思いに引き裂かれるんじゃないでしょうかね?

8155:2021/11/24(水) 23:16:53
なぜかというとこの種の耳タコ話には人間に対する本質的な
理解や、こころや意識に対する理解が決定的に欠けているか
もしくは極めて不十分だと思うからです。

自分自身も含めて、人とは如何なるものなのか、この理解が
深まり広がることなくしてこころの苦しみから解き放たれる
ことはないと私は思います。
なぜならこころの苦しみとはこころの矛盾だからです。原因
であるこころの矛盾を解消することなくしてこころの安らぎ
がありうるわけがない。
このことは皆さんよくお分かりでしょう。

9155:2021/11/24(水) 23:31:46
それではこころの矛盾の生じる原因は何か?

それは自分自身を間違って認識し、他者と世界を間違って認識
するところから全ては始まっている、というのが私の発見です。
そしてなぜ自分自身や他者、または他の存在を間違って認識し
てしまうのか。それは自分というものがあまりにも弱くてそ
もそも他者をそのまま認識できるだけの受け皿がないからだ、
ということなのですね。

そのためにとりあえず存在そのものではなく存在の影絵のよ
うなものとか他人が用意した存在の簡易なモデルのようなも
のを採用して自分の心の中に認識することで他の存在を受け
止めようとしているのだ、ということですね。

10155:2021/11/25(木) 11:04:56
おはようございます。

さておなじような内容の話を一ヶ月前から部分的にやっており
ますね。満月の夜に私が何に気がつき、一ヶ月前からの話とど
こに違いがあって意識の中の大きな変化(安定度の向上)が生
じたのかというと、次のようなことなんです。

つまり、個としての意識、存在は初めは非常に弱いものなので
個として存在し続けるためには「受」、すなわち認識能力を下
げざるを得ないのだ、ということなのです。認識能力を下げ、
あまり物事がわからない状態から始めて少しずつ自分を育てて
ゆかないと、すぐに意識は全体に飲み込まれて自分を見失って
しまい、いわば霧消してしまうほかないのですね。

11155:2021/11/25(木) 11:45:04
分かりすぎると相手の感情や想いに飲み込まれてしまう。感受
性の鋭い子どもが、身近にいる両親や昔でいえば子守りをして
くれるおばあちゃんの価値観に飲み込まれて、本当の自分の想
いが何なのかわからなくなってしまう。その結果人生を狂わせ
てしまう、というのはよく見かける話であります。

そのようにならないためにはある程度人の想いに鈍感になり、
自分の想いを優先しながら育ってゆく必要が生まれます。つま
り子どもというのはある程度我が強い方が正常に育ちやすい。
あまりにも聞き分けの良い子どもの場合は、その子の個性がし
っかりしていればいいですがそうでない場合は逆に心配ですね。

12155:2021/11/25(木) 11:52:52
これまで私は法華経の作者の想いと同じように「人というもの
はなぜこうもわかってくれないのか?どうしてどうでも良い方
向にばかり大切なことのように考えて、一番大事なことの方は
顧みないのか」、このような想いでいました。

しかしそうではなかったのだ、なぜわからないのかではなく、
そもそもわからないことがまず人には必要だったのだ、という
ことを納得したのです。

そして「なぜわからないのか」という私の想いの最初にはまず
「怒り」という感情があったことに気づけたのです。

13155:2021/11/25(木) 12:01:53
おそらくこの感情に気づくことが私にとっての大きな課題だっ
たのでしょう。そしてそれに気づいた結果私の意識の中には大
きな変化が、自然と生まれてきた、といえそうです。

つまり「無知への怒り」という戦い破壊しようとする方向性で
はなく、無知を認め尊重しつつ対話して智慧を目指そうという
ような大きな転換ですね。あるがままに認める、という「赦し」
の感情です。

そうした心の中の方向性を決めているのが感情である、という
ことが理解できてきたのです。
結局これが私が以前「感情の問題」と称していたことの本質で
あるといえそうです。

14155:2021/11/25(木) 12:09:58
こうして満月の夜の「受」の発見はさらに「感情」の発見に
つながってまいりました。

その結果私の心の中には世の中の様々な不条理不合理と戦い
格闘するでもなく、またニヒルな傍観者として対するのでも
なく、また彼らの存在を無視して進もうとするのでもなく、
ただ淡々と想いを述べ対話し共に生きることを楽しめば良い
のだ、という認識が自然と生まれてまいりました。

15155:2021/11/25(木) 12:28:10
私自身が個の生命であり、個としての意識進化を目指しており
ます。

そして他者もまた一人一人が個の生命であり、個としての意識
進化を目指している。いま彼らの表面に現れている考えや行動
がどのようなものであろうとも、お互いに「生きたい」、「個
として存在したい」という存在の想いは変わらないはずです。

そして「個」として存在し続けるために「受」を制限し、苦楽
の経験を通して自分の魂を豊かにしようとしているわけですね。

16155:2021/11/25(木) 12:59:10
個は個として自分一人で存在しているわけではありません。
他者がいるから個が個として存在できるわけです。もし他者が
存在しなくて個しかないのであれば、それは個ではなく全であ
ることになってしいますからね。

ですから我と他者との関係性は、存在の本質に関わるものなの
です。

例えば世の中にはよく「お百姓さんや商人や料理人がいて毎日
ご飯を食べることができるのだ」というような共同社会のあり
方から我と他者が切っても切れない関係なのだ、と説明する場
合もあります。しかしそのような利害関係からだけから他者と
の関係を考えるのは大きな見落としがあるのです。

17155:2021/11/25(木) 13:11:11
利害関係を詳しく調べてゆく、という視点は否定しないのです
が、もし我と他者との関係の全てを利害関係で割り切ろうとす
ると問題が生じます。一見最初は調子良く行くことでしょうが
そのうち利益を追求しようとすればするほど思ってもみなかっ
たことで損をしてしまうようなブレーキ現象が次々と現れてし
まうことでしょう。

我と他者との関係は存在の本質に関わるもっと根本的なものな
ので利害関係に全て落とし込めるようなものではないというこ
とです。損をしようが特をしようが我を生かし彼を生かしてゆ
くのです。

ここで生かすと言っているのはもちろん「肉体を生かす」とい
う意味ではありませんね。

18155:2021/11/25(木) 13:22:08
それでは私は存在とはどのようなものと考えているかという
説明をいたしましょう。あくまで今の私が考えている存在に
ついての見解です。

私は存在とは意識であると考えています。
しかしその意識とはどのようなものでありどのような形で存
在しているのか。
私はそれは空間の小さな粒であろうとしか考えられません。

突き詰めて考えてゆくと空間は微小な粒である。そしてその
微小な粒が様々な状態に常に変化しているのだろう。その粒
が個性に目覚めた一つの状態が存在の粒子であり、存在の粒
子が無数に集まったものが霊質や幽質や物質であろう、とい
うのがさっくりとした私の考えであります。

19155:2021/11/25(木) 13:34:00
言い換えると空間には最小単位が存在する。それ一つ一つが
いわば存在の粒子であり、意識を持っている。

個性がなくただ空間としての意識を共有した状態を「無意識」
とよび、個としての意識や個性を持っていない。想いがなく
ただいわば全体の意識の中の大きなうねり小さなかうねりを
感じているだけのようなものだ。

空間の粒が何かのエネルギーを受けて個性に目覚めた時、つ
まり「我」という認識に目覚めた時、意識は自分自身と他者
との区別を認識するようになります。これが存在の粒子です
ね。

20155:2021/11/25(木) 13:46:38
存在の粒子が「想い」を持った時、周囲の存在の粒子は想いに
呼応するのですね。「我」が存在したい、し続けたいという想
いに反応して集中してまいります。

こうして存在の核が形成され、核を中心とした粒子集団は成長
して心、魂の構造を作り出し構造は想いを実現するための機能
を発揮してまいります。

それでは時間ですので失礼します。

21155:2021/11/27(土) 12:33:37
こんにちは。

昨日は朝早くから某福祉事業所を視察に出かけておりました。
無理を承知でお願いしてみたところ快く了承して頂けまして
親切に案内してくださいました。

そこは身体障害や難病などの方を中心に仕事の能力の高い方も
そうでない方も一緒に色々な方が働いておられる先進的な事業
所でした。ゆっくりゆっくり確実に作業をこなしていかれる方、
最新の機器を扱いながら作業を進める方。それぞれの方が自分
に責任の持てる範囲で与えられた仕事をこなし、また自らの能
力を伸ばすことに挑戦する人もいるなど、眺めておりますと未
来の社会のあり方が具現化されたような印象を持ちました。

22155:2021/11/27(土) 12:42:00
私がそこで印象的に感じたのは、一つは職員の方達の考え方、
リーダーの方達のイキイキとした元気の良さ、事業所内の利
用者も含めてのまとまりの良さなどでした。

もう一つは事業所の利用者さんたちの生活のあり方でした。
障害のある方たちが支援学校を卒業してすぐにそうした施設
・事業所に入ってくる。そしてそこでほぼ一生を終える人も
少なくないという現実でした。

私はこの二つをみて人間関係のあり方について大きく感じる
ところがあったのです。




掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板