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ではそのストーリーはどうやって身につけるかというと
幼い頃に自分で意識の中に構築してゆくわけです。
それはお話を読んだり聞いたりして、お話を聞くのが大
好きで一生懸命内容を理解しようとする努力が、自分の
心の中にストーリーの構造を構築してゆくわけです。
もちろん教えなくても分かるストーリーもあります。
そうしたわかるストーリーを足場にして、更に複雑だっ
たり新しいストーリーのイメージを蓄積してゆくわけで
すね。
この辺りは小さい頃のご自分の意識をふり返ってみると
きっと心当たりがあると思います。
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自分の理解できるストーリーの中に当てはめて現実を理
解するというやり方は効率的ではあるのですが、同時に
既成概念となって自分をその枠の中に閉じ込めてしまう
ことにもなりかねません。
知性、即ち物質的な判断力で構築されたストーリーは文
明を効率よく大きく発展させてきたのですが、同時にそ
こに超えられない限界が現れて参ります。
これが「知の壁」であり、これまで人類が挑戦しては超
えられなかった障壁なのです。
その障壁の向こうにある「愛」や「叡智」へ手を伸ばそ
うとしてはその手は空を切って何も掴むことは出来ない
ままだったのです。
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先師達は言います。
「百尺竿頭歩を一歩進めよ」と。
しかし進めば落ち、退けば志を忘れてしまいます。
分別の知から知恵へ、愛へ、慈悲へと更に大きく一歩を
踏み出せというその真意はついに伝わることなく空しく
苔むしていたのです。
知から知恵への橋渡しはなんと難しいことでしょう。
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今日私は大学の先生方が多く参加したワークショップの
一端に連なって話を聞いておりました。私がこれまで接
してきた子供達とは違って知性の多くの引き出しを備え
た人々でした。
彼らの議論や感想を聞いていて私はなぜ頭の良い彼らが
これほどものごとの理解力において私に劣るのだろうか?
いやそれとも私の理解の方が正確であるというのは単な
る私の思い上がりや錯覚であり、これは増上慢、増長し
てしまっているのだろうか?と考えていました。
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そして密かに通信して訊いてみたのです。
そうすると私の自己評価は「決して増上慢とはいえない」
といいます。
しかし、
私の考えや理解を彼らにそのまま示しても「彼らにとっ
ては評価に値する水準には達していない」とも言われま
した。
これは内容の問題ではないのですね。どう伝えたら伝わ
るか、という問題であります。内容に幾ら価値があった
としても、相手に伝わらないような表現では意味が無い
のです。
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現代には現代の人々に適した伝え方というものがあるの
ですね。それぞれの地域や人々に応じた伝え方も必要に
なります。
本日のワークショップに参加してその事を改めて知らさ
れました。
そしてふわっとした直感的な話をしてゆくだけではなく
て(それも必要とは思いますが)、彼ら知的な人々にと
ってもこころから納得できる表現の在り方を学ぶ必要を
痛感しました。彼ら専門的な人々の批判に耐え、共感を
獲得しうるものを発表しなければならないと決意したの
です。
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私は今後この場所だけでなく新たな表現場所も含めて
自分の体験や理解を体系的に発表してゆくつもりです。
そして多くの人が知から愛への目を開いてゆく発信源
の一つになりたいと願っています。
もちろんその願いは20数年の後にはこの日本におい
てユートピア建設をスタートさせることが目的です。
そしてそれは仏教の終結・即ち仏教の完成を意味して
いるということでもあるのです。
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おはようございます。
仏教の終結というと誤解されてはいけないので書いてお
きます。
仏教は悟りへの道を教えたものです。しかしこの教えは
ずいぶんと誤解されあるいは曲解され、とても難しい道
に変化してしまいました。
本来仏教は子供でもわかるやさしい教えのはずです。悟
りへの道はとても簡単で誰でもたどれる道であるはずな
のです。仏教の完成とは、この本来のだれでもわかり、
みんなが悟りへの道を歩める教えに返る、という意味で
す。
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ところが「悟りへの道を歩める教え」というとまた誤解
を招いてしまいます。「それでは君は何か教えを説いて
宗教でも始めたいのか?」となってしまうからです。
そうではありません。教えを垂れるとか垂れないとかで
はなく、悟りへの道が人としての社会常識になる時代、
それがつまりユートピア文明である、というのです。ユ
ートピア文明においては物質文明の進化の追求と同時に
精神文化、霊性文明の進化についても人々の関心を集め
追求されることになるでしょう。
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現代文明は物質文明を追求する一方で、精神的な価値に
は目を背け、知らないふりをして参りました。なぜかと
いうと精神的な世界はあまりにも広大であるわりには人
々の精神世界に関する知識はあまりにも乏しくて混乱し
ていたからです。
こうした物質文明の在り方への方向転換を図る動きは繰
り返し試みられたのですが、ことごとく失敗してきたと
いってよいでしょう。
初期には宗教的な新たな運動として、また哲学者や知的な
論者達によって、あるいは社会運動家達によって何度も
何度も挑戦されては敗退していったのです。
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しかしようやく時機至れり、というところですね。文明
の進歩が多くの人々がものごとを正しく理解してゆくお
膳立てを整えてくれました。
それは例えば気候変動が今年のノーベル賞の対象となっ
たように、環境と人間との関わり合いに対する知識が飛
躍的に増えてきて、人間が自分勝手に活動して良いもの
ではなく、自分を含めた多くの存在とのつながりの中で
生きているのだというような概念が当たり前になってき
たことなども大きな変化と言えるのです。
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そして宗教的な世界からの挑戦はことごとく失敗したの
だといえると思うのですが、その代わりとしてスピリチ
ュアルな動きが大きく台頭し、多くの人々に受け入れら
れるようになって参りました。今ではチャクラや「気」
という言葉を知る人も増え、次第に受け入れられつつあ
ると思います。
これはヨガや気功などの霊性を背景としたトレーニング
が巨大な潮流を作り一般社会にもファッション的に受け
入れられてきたということがあります。またこういう社
会現象を背景にそれまで身を隠すように生きてきた霊能
者が社会で場を得るきっかけにもなっています。
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また注目しなければならないのは漫画やアニメの影響力
です。
創作に携わったことのある人であるならば周知の事実で
あると思うのですが、創作の根源は天にあります。天か
ら降りてこなければ一歩も筆を動かすことは出来ないの
です。彼ら絵師の創造の一念が天に通じ天からダウンロ
ードされたイメージが彼らのペンを動かし筆を進めて参
ります。つまり彼らもまた一種の霊能を発揮しつつ創作
を進めているといえるのです。
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大きな反響を巻き起こした作品を眺めてみると、そこに
はスピリチュアルな知識や視点が多くちりばめられてい
ることに気づきます。
私の例で恐縮ですが、私はいま異世界アニメや漫画には
まっているんですが、そこで描かれる魔法の概念は私の
立場からするとかなり正確な描写が多いと感じます。こ
のような知識も心の力の使い方ということで霊界から降
ろされている知識なのでしょう。
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もう一つは量子力学の進歩ですね。量子力学の世界は我
々の素朴で固体的な物質観とは物質の見方が根本的に違
っています。素粒子の世界ではそれが甚だしくて、素粒
子というものはここにいるかもしれないし、同時にあそ
こにいるかもしれない確率的な存在で、観測した瞬間に
その存在場所は確定するのだ、みたいなわけのわからな
い説明がされています。
こうした量子力学的世界は仏教の世界観と相性が良いら
しくて多くの量子力学者が仏教に親しみを感じている、
という話を先日のセミナーでも聞きました。
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それからなんと言っても通信技術の発達です。我々は実
際にはつねに意識でのエネルギーのやりとりを行ってい
ます。それが意識活動の現実なのです。こうした意識活
動を物質化したような世界がインターネットの世界です
ね。インターネットの仕組みや利用の概念は意識の世界
の在り方と非常に似たところがあり、意識の世界を説明
するときに現代人にとって大変理解しやすい状況になっ
ているといえるのです。
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こうした環境に対する知識(=人間が個だけでなく環境
も含めた全体的な存在なのだという具体的な認識)、ス
ピリチュアルな知識の普及、物理学の発達、通信技術や
インターネットの発達、漫画やアニメの影響、これらが
相まって今ここにしかない集団意識の飛躍の機会を作り
出しているのです。
それでは意識が飛躍した結果どのようになるかというと
宗教に関する考え方は大きく変化するのではないでしょ
うか?
いま神仏は恐れ敬い御利益を願う対象とされてますね。
神仏は親しみ敬い私達の良き導き手としての感謝の対象
へと変化することでしょう。
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意識が飛躍した結果人生に関する考え方や社会制度も大
きく変わってくることでしょう。
今の社会は資本主義社会です。この社会では勤勉に働き
お金を稼ぎ家族を養い社会を組織するというのが基本の
考え方です。この考えの根本にあるのはピューリタニズ
ムでありましてキリスト教的な勤勉と誠実と愛を根本と
した思想です。
ところが困ったことに資本主義においては根本の思想で
あるピューリタニズムは忘れ去られ、「お金を稼ぐ」こ
とそれ自体が目的にすり替わってっています。
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どうしてこうなった?!ってやつですね。
世界各地で農村的な共同体文化が廃れて誰も彼もが子弟
をサラリーマンにすることを夢見て育てるようになりま
す。だってお金の苦労はしたくないですからね。定期的
にお金が入ってくるサラリーマンの地位はそれはそれは
魅力的だったわけですよ。
しかし社会全体が資本主義的な色に染まってくるにつれ
て様々な問題が目に付くようになってきますね。何より
も困るのが頑張れば頑張るほど生きてゆくのがしんどい
ってやつですよ。
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お釈迦様が仰いました。人生は「生老病死」の四苦に満
ちている、って。生きてゆくのがしんどいってのは四苦
のうちの「生苦」ってやつですよ。金が稼げて楽になる
はずなのになぜか苦しくなっちゃった。どうなってんだ、
責任者出てこい案件ですね。
そりゃあなた、社会全体の仕組みが根本を忘れて「金儲
け」が目的にすり替わったからじゃありませんか?人間
が「お金」に使い潰されるって仕組みに変化してきちゃ
ったんですよ。はっきり言って、経営者が凡庸だから生
まれてきた現象です。
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集団のリーダーとして誰を選ぶかは、集団の死命を制す
る重大問題です。それは家庭であっても会社であっても
社会であっても国家であっても変わりませんね。「ここ
ろ」を忘れたリーダーを選ぶと多くの人が迷惑します。
なぜかというと、リーダーによって本来の共同体メンバ
ーの幸せという目的意識が、あっちの方向だったりこっ
ちの方向だったりにすり替わったりねじ曲がったりして
しまうからです。
場合によってはこころよりも現実処理能力、即ち「手腕」
を重視すべき時もあるのですがこころと手腕の二つを備
えた人材が望ましいのは言うまでもありません。
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意識が飛躍した結果、子弟の教育は大きく変わってくる
ことでしょう。即ち、こころと手腕を兼ね備えた人材を
どう育成するか、教育の方向性が定まってくるでしょう。
リーダーの選定基準が大きく変わってくることでしょう。
いまは口先の聞こえの良いリーダー、見栄えの良いリー
ダーの人気投票になっていますね。しかしユートピア社
どう飾るかではなくどう飾るかではなく客観的な実績が
重視されるでしょう。また本人の認識や哲学が問われて
くるでしょう。
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また人生に対するものの考え方・価値観も大きく変わっ
てくるでしょう。能力があろうがなかろうが自分をある
がままに価値ある人間として見ることが出来るようにな
るでしょう。他人と比較して一喜一憂することがなくな
るということです。
そして人生を貴重な三次元物質社会における体験の場と
位置づけるようになることでしょう。その体験によって
自分のこころ、魂をどう豊かにしてゆけるか、このよう
な視点から自分の人生を考えるようになることでしょう。
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生活そのもの、当たり前の人生そのものが悟りへの道で
あり、あえて仏教の教説を持ち出す必要すらないのです。
これすなわち仏教の終了であります。
ユートピア社会とは仏教が終了した社会であり、「君た
ち、人間の心は偉大であり悟りへの道は……」などと言
ったとしても、「なにそれ常識じゃん。当たり前のこと
を今さら偉そうに言われましても引きますわー」ってな
る社会のことをいうわけですね。
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>990 「しかしユートピア社
どう飾るかではなくどう飾るかではなく客観的な実績が
重視されるでしょう。」→「しかしユートピア社会にお
いては言葉を飾ってどう自分の実績を大きく見せたるか
ではなくてもっと客観的な評価ほうほうによる実績が重
視されるでしょう」
明日、明後日は京都に出張しますので投稿は難しくなり
ます。
教はこれで失礼します。
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こんにちは。
色々ありましてまたしばらく投稿できませんでした。
一番大きな原因はPCの不調なんです。どうもHDMI出力ができ
なくなったっぽくて、更新するべきなのかなと思っているとこ
ろです。
私、投稿は基本的にPCからしてるんですけど、タブレットから
したらばへの投稿は投稿ウインドウの領域の拡大ができないの
でちょっと使い勝手が悪いんです。そんな小さなこともつい投
稿を後回しにしてしまった理由の一つです。
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あら、また名前入れ忘れですね。
さて、私はほぼ毎日エネルギーワークをしていると言う話はしていると
思うんですが、その際に毎回エネルギー量をチェックしています。その
数値が数ヶ月前からちょっと特徴的な値を示すようになりました。123
456とか999とか9999とかの数字ばかりになってきたのです。
これは何かエネルギー的な現象なのだろうかなどと思って眺め
ていたのですが、ある時ふと「エンジェルナンバー」って話を
思い出しました。
ああ、これってもしかしたらそうなのかも‥。ってことで調べ
てみました。
そうすると、んーん?これってめちゃくちゃメッセージですや
ん、って思い当たります。
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それで昨日今日なんですけど、3333とか33333とかとか44
444とか6666とか66666とかばかり出るのです。
これは‥。
めちゃくちゃ投稿を促されてますやん!ってことで、投稿再開
はPC修理してからとも考えていたのですが、考えをあらためて
急遽再開することにいたしました。
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ところでこの間満月がありました。満月は意識の浄化には欠か
せないので夜中月が冲天(ちゅうてん)する頃、計20分ほどの
満月浄化を試みていたのです。
月の出ていない時間に満月浄化を行おうとすると、満月のイメ
ージをありありと心に投影しなければなりません。ですから満
月の日はしっかりと月の姿を目に焼き付けるためにもできるだ
け空を見上げる時間を作るようにしています。
この日も姿を目に焼き付けながら意識と体の浄化を進めました。
そうするとなんと私としては重大な事実をはっきりと認識でき
たのです。
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それは何かというと、実は以前にも何度か申し上げたことがあ
るとは思うのですが、「人間は自分自身が思っているよりも
ずっと頭が悪い」ってことです。その本当の意味がわかって腑
(ふ)に落ちたのです。仏教でいう「受想行識」の「受」が問
題にしている内容です。
これは人間というよりも「意識」の性質というか能力ですね。
意識はもともとそれほど頭が良くはないので、世界の全てを
ありのままに受け取ることは不可能なのです。ですから感覚
は世界の姿をありのままに伝えるのが仕事ではなく、意識が
受け止めきれるように世界の姿をごく一部だけ伝えるように
制限することが仕事なのだ、ということです。
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意識は物事の全てを受け止めきれない。だから様々な方法で制
限を設けて自分が受け止めきれる範囲だけで物事を受け止めよ
うとするのだ、という認識は私の意識に自動的に大きな変化を
引き起こしてしまいました。
私が10進法、12進法、60進法の入り混じった時計の針の読み
方が理解できなかったけれども突然理解できた瞬間の体験をお
話ししたことがあったと思います。
この時私の頭の中では空間がぐにゃりと曲がるような感覚が数
秒続きました。今回はそのような感覚は伴わなかったのですが
意識の中が明らかに変化したようです。
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千をわざわざ残すというか、今からお前の名は千だ!なのか
選ぶというのか、宣うのか、戦うのか、専らなのか、先んずるのか、浅はかなのか、占いたいのか、薦めたいのか、
餞にしとくか?
太公望でも尊敬してんのか?
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