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「コメント」板

6084志恩:2018/08/31(金) 02:02:21 ID:6hRUvSRg
新・トキ掲示板より
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谷口輝子先生が白内障になられたのは (4607)
日時:2018年08月30日 (木) 21時22分
名前:tapir


谷口輝子先生が白内障で入院、手術されたことは、私も当時の白鳩誌で拝見しました。
昭和55年(1980年)前後の頃で、谷口輝子先生の御文章だったと思います。

手元にその白鳩誌がないので、言葉が正確ではないかも知れませんが、
谷口雅春先生が「世の中に悲しいことが多いので、
私のそれを見たくないという心が、輝子先生に反映して、眼の病気として現れた」
とおっしゃったというようなことも、書いていらしたと思います。

この時の谷口雅春先生の「悲しいこと」は個人の悲しみではなく、
優生保護法があるために年間100万人もの胎児が中絶されていることをひどく悲しまれた、
「公」の悲しみだったと記憶しております。

何分、本が手元にないので、もしも白鳩誌を持っていて正確な文章が分かる方が
いらっしゃいましたら、どうぞご訂正ください。
昭和55年(1980年)前後の号だったと思います。


当時それを読んで、病気には、公の悲しみや、家族の業を一身に引き受ける等、
いろいろな原因があるのだなと思いました。
横の真理から言えばいろいろの原因があるように見えるでしょう。


でも、教えの根本である縦の真理では、聖経『続々甘露の法雨』にある通り
「存在せざるものを追うこと勿れ」だと思います。
(以下『続々甘露の法雨』から引用)


  「この病気は、この心の迷いの影」などと
  「迷い」をいちいち詮索すること勿れ。
  「迷い」本来無ければ
  「迷いの影」も本来無し。
  「この病気は何の罪の結果ならんか」と
   罪の種類をいちいち詮索すること勿れ。
   罪本来無ければ、
   罪の種類も本来存在せざるなり。
   汝ら存在せざるものを追うこと勿れ。

  (聖経『続々甘露の法雨』)



罪なし、迷いなし、病なしですね!


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