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「コメント」板

4295トキ:2017/09/15(金) 09:37:30 ID:qwJzfUfI
 少しコメントをします。

 満州には当時、確かに教化部は存在しました。しかし、当時の満州はかなり平和でした。
戦争末期になると、空襲を避けて安全だと思われた満州に疎開する人も相当数おられました。
ソ連についても、日ソ不可侵条約があったので、その有効期間内は攻めることがないと思われていたのです。
 戦争末期、連合国との和平をソ連に仲介してもらうという構想すらあったのです。

 ところが、ソ連は連合国との密約により、不当にも日ソ不可侵条約を一方的に破棄して満州に侵攻、
続いての終戦により満州は無政府状態になり、多数の難民が出ました。この時、当時の満州の教化部の
責任者だった中村政吉先生は、信徒を招集し、特に徳久先生など医師の信徒を集めて臨時の無料の救護室
を開設、避難民の救護にあたられました。その後の数年間、内地への引き上げまで、満州の生長の家は
組織力を生かして避難民の救済に全力を尽くしました。

 ところで、ソ連の蛮行を責めるべきなのに、生長の家や谷口雅春先生を責める神経は理解が不能です。
言いがかりとしか言いようがないでしょう。


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