[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
4501-
4601-
4701-
4801-
4901-
5001-
5101-
5201-
5301-
5401-
5501-
5601-
5701-
5801-
5901-
6001-
6101-
6201-
6301-
6401-
6501-
6601-
6701-
6801-
6901-
7001-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
独占板
4963
:
シャンソン
:2015/10/29(木) 21:35:35 ID:.ei4VfLc
映画「誰も知らない」 監督:是枝裕和
● 神の世界に近づこうとした四人の孤児
二〇〇四年に公開された映画だが、それから十年以上たち、格差社会がさらに強まり、
ひとり親家庭の貧困が明らかになっている現在、この映画を見直すと、まるで今日の社会を見通して
いたのではないかと思えてくる。
とりわけ、二〇一五年の二月、川崎市で起きた少年たちによる中学一年生の殺害事件の酷たらしさを知った後に見ると、
この映画の子供たちへの悲しみがいっそう切実なものとして観客に迫ってくる。映画は、一九八八年に東京で実際に起きた
「西巣鴨子供四人置き去り事件」をもとにしている。しかし、是枝裕和監督(脚本・編集)は決して「事件」を描いているわけではない。
むしろ「事件」と言ったとたんに見えにくくなってしまう子供たちの幼い心の内を辿ろうとしている。
四人の子供たちを、ただ、母親に捨てられた可哀想な子供とだけとはとらえていない。
子供たち、四人はいったいどうやって暮らしていたのか。そこには通常の人間が想像も出来ない、子供たちだけの豊かな世界だえあったのではないか。
彼らは確かに被害者かもしれない。しかし、それだけだったのか。彼らはわれわれの知らないところで強く支えあって生きていたのではないか。まるで聖家族のように。
子供たちは学校に行っていなかった。戸籍もなかった。だから社会のなかで「見えない存在」だった。
誰も彼らのことを知らなかった。同時に、われわれは彼らだけの充実した世界を知らなかった。是枝裕和はそこにこそ焦点を絞った。
つづく
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板