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独占板

4895シャンソン:2015/10/22(木) 21:19:21 ID:jkg99dEg
    仏に遭っては仏を殺し

 「仏に遭っては仏を殺し、租に会っては租を殺す」と禅語にあるのは宗教の師に遭ったら宗教の師を
殺す、そして祖先や父母に会ったら祖先や父母を亡きものにするなどと云う意味じゃないのであります。
師恩は大切でありますが、本当の師は弟子に何を教えようとしたかと言うと「真理」を教えようとしたのであって、
決して恩や愛着を売りつけようとしたのではありません。

 それなのに「あの先生が止めたら、私もこの教えを止める」などと云う弟子があるが、これは「愛着」を受け取って、
「真理」を受け取っていないのであります。この「愛着」を断ち切って真理に直参するのが、「仏に遭っては仏を殺し、租に会っては
租を殺す」であります。家庭に於いても、本当に父母を愛しようと思ったら父母を殺さんといかぬのであります。

 こう言っても刀なんかで突いて殺すのでありません。本当に父母を父母たらしめようと思ったならば、父母に対する愛着を殺さぬと父母を
父母たらしめることが出来ないのであります。僕でも父母を殺しているのです。僕は世間的に謂えば、大変親不孝です。九十幾歳の老母を神戸に
放ったらかしているのです。僕は世間的に謂えば大変親不孝です。

 九十幾歳の老母を神戸に放ったらかしておるのです。
あれは恩愛の執着を殺しておるのです。恩愛の情を殺して置かぬと父母が父母として本当に生きることが出来ない。若し私が「最高理想の生活は斯う云う
理想の生活だから、お父さんお母さんこう云う具合になさい」と言って連れて来て、そしてその通りにしなさいと言ったらお父さんお母さんは窮屈でとても堪え切れないで、
キッとお困りになるだろうと思うのであります。

 一燈園などでは「棄恩入無為」と言っています。恩愛の情を一度棄て切って、「無為」即ち、「そのまま」の実相があらわれるのであります。


  『日常生活の中の真理』無門関・聖書篇 谷口雅春 先生著


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