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4826
:
シャンソン
:2015/10/17(土) 02:04:23 ID:1HUZKYzA
憲法を「対米条約」と考えた
『宰相吉田茂』を書いた京都大学教授の高坂正尭は、吉田が実は新しい日本国憲法を「憲法」と
してより「条約」として考えたのではないかとの興味深い所見を述べる。
「一国の政治体制を条約で決めるのは前例がないわけではない。ウィーン会議のときのスイスの中立は国際条約に入っている。
第二次大戦後のオーストラリアが中立するときの中立条約の中に基本的な形態が入っています。国際条約で決めることは全然おかしくない」
(「日米戦後の五十年」『別冊正論』13号)
確かに、吉田は著書『回想十年』の中で、「改正草案が出来あがるまでの過程をみると、わが方にとっては、実際上、外国との条約締結の交渉と
相似したものがあったともいえよう」と、外交官らしい見方をしている。吉田にとってGHQとの交渉は、まさに対米外交であり、憲法改正は条約づくりと
同じようにみていた。
吉田は憲法改正に応じた方が、大局的な見地から日本に有利であると考えた。
一刻も早く独立を果たし、民主国家としての信頼を得ることを目指すことが彼の目標となる。
そのためには、「立法技術的な面」にこだわらず、大筋で差支えなければ改正案を取りまとめるべきだと考える。
前出の原彬久氏のいう「敗者の功利」であろう。その根底には、「外交的センスが働いていたというのが、真相である」という
外交のプロとしての吉田の自負があった。
高坂のいうように吉田が憲法第九条を「条約」と考えていたのなら、占領が終わって独立するときに憲法改正を断行することが考えられる。
しかし、吉田はなおも経済復興を優先し、日米安全保障条約の締結というもう一つの条約によって、
その防衛の穴を埋めていく。
そうしてみると、日米安保条約は、日本国憲法の不完全さを補う一体のものであるといえるだろう。
どちらが欠けても、国家として機能しないことになる。従って、このまま憲法改正をしないという選択は、もとより日米安保条約を軽視することは
できないという力学が働く。
吉田にはもう一つ、議会という厄介な手続きが待っていた。昭和二十一年六月二十八日に衆議院本会議で展開した野坂参三との論争であった。野坂はまず、
戦争を「不正の戦争」としての侵略戦争と、「正しい戦争」としての自衛戦争を区別した。そこで政府案にある「戦争の放棄」を「侵略戦争の放棄」に改めることを訴えた。
野坂の動機は、反米という党派的であっても主張は極めて現実主義的であり、吉田も本来なら同調したかったのかもしれない。
だが、戦勝国の中には象徴天皇ですら否定的な国がある以上、皇室制度を残すためには戦争放棄を甘んじて受けなくてはならなかった。
それがこの時の吉田のリアリズムであろう。
『新アメリカ論』 櫻井よしこ+国家基本問題研究所 著
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