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4751
:
シャンソン
:2015/10/14(水) 03:43:39 ID:R/WdAt6I
自分を強くしておかなければ、本当の「優しさ」は身に付かない
一九七四(昭和四十九)年三月、元日本兵の小野田寛郎さんが「戦地」から帰国しました。
小野田さんは約三十年間、戦争が終わったことを知らないまま東南アジアのジャングルに潜伏していたのです。
その約二年前にグアム島から帰国した元日本兵の横井正一さんとともに、一躍時の人となり、当時はたいへん大きな
ニュースになりました。
小野田さんは、ゲリラ戦要員を育成する陸軍中野学校二俣分校(旧日本陸軍の教育機関)を卒業したあと、一九四四(昭和十九)年
十二月にフィリピンのルバング島に派遣されました。そこで上官から任務を与えられ、「玉砕(名誉を重んじて潔く死ぬこと)は絶対に
してはならない。三年でも五年でも、ヤシの実を食べながらでも頑張れ。必ず迎えに行く」と訓示されます。
以来、数名の部下とともに熱帯の密林の中を転々としながら、米軍の動きを探り、基地を攻撃するといったゲリラ戦を続けました。
一九四五(昭和二十)年八月に戦争は終結しましたが、ジャングルに潜んでいた小野田さんたちにその知らせは届きませんでした。また、戦争が終わってからも
アメリカ軍はフィリピンに駐留し続けたため、小野田さんはアメリカ軍がフィリピンを占領・支配していると考えました。つまり小野田さんにとっては、
ジャングルに留まってゲリラ戦を行う「正当な理由」があり続けたわけです。
一方、フィリピンで日本兵が残留していることを把握した日本側は、捜索活動を続けていました。
そしてついに一九七四(昭和四十九)年二月、ただ一人生き残っていた小野田さんとの接触に成功し、ようやく日本が敗戦していたことを伝えられたのです。
翌月には直属の上官から任務解除を告げられ、小野田さんは帰国することになりました。
ところがいざ日本に帰ってみると、思いもよらない展開が待ち受けていました。
まず、日本人の考え方がまるで変わっていたことに驚きました。例えば「日本の過去の戦争は誤りであり、日本は悪いことをした」という見方が広く浸透していたため、
「それでは亡くなった戦友たちはいったいどうなるのだ?」という疑問に思ったそうです。
また政府からは見舞金が出て、あちこちから義援金が寄せられましたが、その金額について、「もっとたくさんもらっているんじゃないか?」と噂されました。
そもそも受け取るつもりがなかった見舞金や義援金を、戦友が祀られている靖国神社に寄付したら、今度は「軍国主義の復活に加担している」と、マスコミや世間から散々叩かれました。
そのようなことが重なって、つくづく日本にいるのが嫌になり、帰国した翌年の一九七五(昭和五十)年には、先に移住していた兄を頼ってブラジルに渡ります。そこで牧場経営に取り組み、
苦労を重ねたうえで大成功を収めるのです。
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