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独占板
4351
:
シャンソン
:2015/09/14(月) 15:37:27 ID:SZr9I7RY
取材をつづけるうちにおぼろげながら見えてきたのは、「生長の家」の谷口雅春氏の
思想を核にして育ってきた、村上さんをはじめとする一群の人々の姿である。彼らは教団の路線転換で
教団からの離脱を余儀なくされるが、それでもなお、政治や教育や国民運動を通じて谷口氏の悲願を実現しようと
活動をつづけていく。
皮肉なことに、彼らの運動は、敗戦直後から六〇年安保を経て全共闘へとつづく左派の運動形態とよく似ている。
特に日本会議の現事務総長である椛島有三氏らがとった、地方から中央へ攻め上る戦略は、中国革命の「農村から都市を包囲する」
という毛沢東戦略の亜流と言ってもいいのではないか。
全共闘隆盛の一九六〇年代後半に生学連(生長の家学生会全国総連合)の活動家だった鈴木邦男さん(新右翼団体・一水会顧問)は私の取材にこう語った。
「われわれにとって全共闘は、敵でありながら、師匠でもあったんです。学生時代に僕が書いたものもほとんど左翼的な文章、左翼的な口調ですよ。組織化したり、
自治会活動をやったり、ある種のサークルをつくって一般学生を獲得するとかもね。彼らと同じ土俵で闘うんだから、そうならざるを得ない。でも、もし全共闘がなかったら、戦前の右翼運動の
ように、ふだんは遊んでいて、何かあったら権力者を殺せばいいんだみたいな無頼の徒で終わったと思う。それが組織運動、言論で闘うことができたのは、全共闘の力があったからです。大きな
敵があったので、僕らも勉強もしたし、力をつけることができた」
そして、八〇年代以降、日本会議へと収斂していく一群の人々は教科書問題や従軍慰安婦問題などをバネにしながら政界や論壇の主導権を握り、ついには憲法改正を具体的な政治日程にのせるところまでこぎつけた。
『証言 村上正邦 我、国に裏切られようとも』 魚住昭 著
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