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4263
:
シャンソン
:2015/09/06(日) 19:53:03 ID:9ViEcdEo
日本会議
志帥会が生まれた平成十一年には私の政治家としての人生のなかで特筆すべき出来事がありました。それは国旗・国歌が
法制化されたことです。この法制化実現の原動力となったのは平成九年五月に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」を統合してできた
「日本会議」です。「守る会」は宗教人と文化人の集まり、「国民会議」を統合してできた「日本会議」です。
「守る会」は宗教人と文化人の集まり、「国民会議」は宗教界、財界、政界、学界など各界の代表者の組織でしたが、どちらも事務局は椛島さんや
明治神宮宮司の外山勝志さんらがやっていた。その事務局側からすれば、たとえば今の天皇陛下のご即位の際に奉祝運動を展開したときにも、まず「守る会」の役員会にかけ、
さらに「国民会議」の役員会にも諮らなければ何事も決められなかった。この際、両組織が合流すれば国民運動を支える大きな基盤ができるじゃないかと外山さんらが言い出し、
両組織の役員らに働きかけて生まれたのが「日本会議」でした。
会議設立には学界、財界、教育界などがかつてなく広範な各界の代表者たちが加わり、初代会長にはワコール会長の塚本幸一さんが就任しました。会議の発足と同時に、衆参両院から二百人以上の議員が
参加して「日本会議国会議員懇談会」もつくられ、この懇親会が民間の国民運動と連携して運動を進めることになったわけです。
私は日本会議の事務総長である椛島さんや、小山孝雄さんら参議院の村上グループの諸君らとともに国旗・国歌の法制化実現に向けて動き出しました。平成十年(一九九八年)春のことです。
中略〜
草川さんが言う通り、私がマスコミに情報を流しました。それで法制化への動きが加速した。五月十八日には公明党の神崎武法代表が記者会見で「日の丸・君が代は国民の間に定着している。政府が法案を提出するなら
十分議論したい。十分審議できるなら、この国会での成立も考えられる」と述べ、国旗・国歌法案に賛成する考えを明言しました。
法案を「国旗は日章旗とする」「国歌は君が代とする」の二条に絞り、「尊重規定」を削除することで公明党も受け入れやすくしたことや、この法案を拒むと自自公連立が難しくなるという公明党側の判断もあったのだろうと思います。
国旗・国歌法案が国会で成立したのは平成十一年(一九九九年)八月のことでした。
元号もそうですが、国旗は日の丸、国歌は君が代であるという国家の根本に関わることが、戦後の日教組の教育などで歪められてきた。
だから法律できちっと定めておかないといけないというのが、生長の家の初代総裁である谷口雅春先生のお考えだった。だから国旗・国歌を法制化することは谷口先生から私に託された使命でもあったんです。
今になってふり返ると、あれほど難しいといわれた国旗・国歌の法制化が実現できたのは人智の及ばぬ大きな力が働いていたからだと考えざるを得ません。
谷口先生の祈りの言葉に、
我動けば 宇宙動く
我祈れば 天地応える
とありますが、まさにその通りでした。
私は日の丸、君が代という日本人の魂を千代に八千代に残すことができたことを
今も誇りに思っています。
『証言 村上正邦 我、国に裏切られようとも』 魚住昭 著
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