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3808
:
シャンソン
:2015/08/16(日) 18:15:36 ID:a2G0sIOQ
新右翼団体「一水会」顧問・鈴木邦男氏の話
僕が村上正邦さんに初めて会ったのは昭和三十七年夏、生長の家の練成道場だった。
当時僕は早大生で生学連(生長の家学生会全国総連合)の活動家だった。村上さんは玉置和郎さんに言われて
十日間の厳しい練成会に参加していた。村上さんは宗教家という感じがしなかったので、最初は失礼ながら「生長の家の票がほしいんだろうな」と
思っていた。政治家が宗教団体の票目当てで「信者」になるのはよくあることだったから。
でも村上さんは本気だった。本当の信者になり一から始めたのだ。早起きして便所掃除をしたり、長時間正座してお祈りをしたり....政治家でそんな人はいないから、
「何もそこまでしなくても」と同情したほどだった。彼は僕より十一歳上だったが、「信仰を持った人間が日本を変えるべきだ。鈴木君は学生運動を変えろ。俺は政治を変える」と言って、
僕らをよく励ましてくれた。
当時は生長の家に限らず、いろいろな宗教団体が政治に進出していた時期だった。
六〇年安保は終わったけど次は七〇年がある、共産革命が起これば宗教が弾圧されるといって、生長の家をはじめ、立正佼成会や神社本庁も皆、政治連盟をつくったり自民党や民社党の候補を支援したりしていた。
そうした宗教団体にとっては創価学会も恐い存在だった。学会は公明党をつくって、当時は国立戒壇の建立を目指していた。そうなったら、他の宗教は全部否定されるのではないかと各宗教団体は恐れていた。つまり反共・反学会が
各宗教団体の旗印だった。
当時の生長の家は、壮大な「世直し」を考えていた。他の青年団体と共闘したし、経営者を中心に「栄える会」をつくった。
「新教育者連盟」、「芸術家連盟」もつくった。政治・経済・教育・芸術などあらゆる部門で信仰による世直しをやろうとしていた。
そして議員を推薦するだけでなく、自前の議員をつくろうとした。諸悪の根源の憲法を改正する、生命を軽視し堕胎を認める優生保護法を改める、そのためには自前の議員を国会に送る必要があると考えたのだ。
いわゆる右派学生に対する、生長の家の影響力はものすごく大きかった。
宗教的なことはよく分からなくても、愛国者・谷口雅春に惚れこんだ人が非常に多かった。
社会党委員長の浅沼稲次郎さんを刺殺した山口二矢も谷口さんの本を読んでいた。生学連の練成会には民族派の学生運動をやっている人もずいぶん参加してくれた。
後に三島由紀夫とともに自刃する森田必勝氏、森田氏の前に「楯の会」の学生長をしていた持丸博氏もそのなかにいた。三島由紀夫氏も谷口先生の本に解説を書いてベタぼめをしたほど先生を尊敬していて、
「楯の会」のメンバーで生長の家に入っていた人は相当いた。
生学連の出身者では後に有名になった人が何人もいる。「新しい歴史教科書をつくる会」の高橋史郎氏(明星大教授)もそうだし、日本会議の事務総をやっている椛島有三さんや、安倍首相のブレーンといわれる日本政策研究センター所長の
伊藤哲夫さんもそうだ。参院議員の衛藤晟一さんや、郵政選挙で代議士になった井脇ノブ子さんも生学連のメンバーだった。優秀な人がごろごろいた。生長の家に入っている親が子どもの高校生や大学生を練成会に送り込むから、いくらでも人が集まってくる。
左翼のように一人ひとりオルグして集める必要はないわけだ。
生長の家というのは非常にインテリ向けの宗教。キリスト教や仏教、神道などいろいろなものを取り入れて万教帰一、すべての教えは同じだ。ただ登り口が違うだけだと説く。
そのうえで谷口雅春先生は「今、日本は危機だ。宗教家も勇気を持って立ち上げれ!」と叫んでおられた。生長の家は当時の愛国運動の中心だった。そんなときに活動できたことを僕は今誇りに思っている。
また、「世の中は思い通りになる」「祈りは必ずきかれる」「一番大切なのは言葉だ」「病はない」....と教えられた。苦しいときはそうした教えを思い出して力づけられ生きてきた。もし生長の家と出会わなければ、僕はたぶん自殺していただろう。どれだけ救われたか分からない。
『我、国に裏切られようとも』 魚住 昭 著
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