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独占板

321シャンソン:2014/12/14(日) 17:34:06 ID:cMH5EJNM

どの国どの民族にも神話の英雄というものがある。
それは先祖たちへの畏敬をこめた憧れを象徴しているが、その大方が悲劇的運命をたどる人物
として描かれているのも一つの特徴だ。

 例えば古代ギリシャの英雄ユリシリーズや、北欧のゲルマン民族の神話『ニーベルゲンの歌』の
中のジークフリート、そしてこの日本では建国のための戦に殉じた日本武尊。
 どれも孤独な放浪に彩られた武将として、何といおうと一種の透明感の内に形作られた逞しくも悲しい男の
イメージとしてある。それら神話の英雄というのは、ある意味で男の理想像ともいえそうだ。

 国家といえば大袈裟にも聞こえようが、人間が人間として生きていくために避けることの出来ぬ一つの組織、社会の中での
他者との関わりのために、自己犠牲によって仲間たちを救いその安寧のために尽くすという献身は、男にとって、男としての宿命ともいえるだろう。
 しかしなお、その宿命に甘んじる男は滅多にいるものでもない。

 それが命がけということになれば、その責務を全うしきる男などざらにいるものではない。
ずっと以前、今は亡き三島由紀夫氏とした最後の対談は、『男は、何のために死ねるか』という題目だった。
対談を始める前に三島さんが、「君は何が男にとって最高の美徳と思うかね。一つ黙って紙に書いて入れ札しよう」といい出し、
二人して紙に書いて差し出し合った。二人の答えは期せずして同じで、『自己犠牲』だった。

 そして間もなく三島さんはあの、国家を救うために自衛隊が立ち上がり、いわば反クーデタを行えと促して市谷の駐屯地を占拠し、その揚げ句割腹して死んだ。
あの事件についてはさまざま論があろうからここで私の言は控えたいが、あの出来事の根底には、あの直前に近い時点で二人して行った入れ札の複雑な余韻があったと思う。
 私は男女の性の差をことさら強調する者ではないが、自己犠牲という行為は、母と子供という限られた関係の中ならばともかく、家族にあっても、複数の人間の集団にあってもまず男、
男たちの責務に違いないと思う。それこそがこの世の生物の多くに男と女、雄と雌という性の差がもうけられている所以だろう。

  『私の好きな日本人』 石原慎太郎 著


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