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3146
:
シャンソン
:2015/06/26(金) 23:41:49 ID:qlRnzEq.
世界立替説
大正七年頃、後に大本教第二次弾圧の舞台になる山陰の松江は大本教の教線が強くのびていた地域で、
雑誌『彗星』、『心霊界』が発行されていた。谷口はその頃松江市の木原鬼仏の主宰する耳根円通法講習会の会員に
名をつらねていた関係からか、同年四月同じ松江の岡田建文という人物の名で彼のもとに『彗星』がとどけられた。
その中に彼ははじめて丹波の綾部に皇道大本があることを知った。
大正五〜六年から続く九〜十年は大本発展のピークにあった。大本の第一期黄金時代ともいわれる(出口京太郎『出口王仁三郎』)。
この雑誌の中に、医師井上留五郎が魂返の鎮魂法によってすでにこと切れていた病人を蘇生させたという記事を見いだし、谷口は感動する。
毎号送られてくる雑誌を披読するだけでなく、批評という自説をもってこの雑誌にも投書した。岡田建文は、一般の心霊療法のあり方は谷口の
解説通りかもしれぬが、「皇道大本ばかりは別物である。一度綾部に到ってその実際を見聞せられよ」と勧めた。
もう一つこの『彗星』に心を惹かれたのは、そこに記された世の立替え説であった。
大本教の機関誌『神霊界』(大正六年創刊)には、編集者友清天行(一八八八ー一九五二)によって「神と人との世界改造運動」と題し、こう記されている。
「この二、三年来の世の中のいろいろなできごとをどう考えておりますか。ふつうの人間からいえば天災地変、または人間社会の一波瀾にすぎないと思っているでありましょうが、
いずれもみなことごとく神慮の発現ならざるはありませぬ。けれども心なき者にはいかなる神の啓示も、いつも鳴く鳥が鳴くほどしか感ぜられませぬ。
....くりかえして申します。時期は日に日に刻々と切迫してまいりました。モウ抜き差しならぬところまでまいりました。眼の醒める人はいまの間に醒めていただかねばなりませぬ。
いまから一千日ばかりの間に、それらすべての騒動がおこって、そして解決して静まって、大正十一、二年ころは、この世界は暴風雨のあとのような静かな世になって、生き残った人たちが
神勅のまにまに新理想世界の経営に着手しているときであります」
としきりに危機感を煽りたてられている。今日の小松左京の小説『日本沈没』を地でゆく緊迫感が世の中全体にただよっていたことも事実である。当時、神経衰弱気味で、いままでの仕儀にいささか
手ひどい罪悪感を抱くようになっていた谷口にとって、「いっさいの罪人と罪業が焼き滅ぼされて清浄無垢の新天地が創造される」(自伝篇・上・一三二頁)という「実に喜ばしき福音と同時に恐怖すべき福音」(同)
とを読みとっていた。この大本の終末論と最後の審判にひかれて綾部を訪れることになる。
『谷口雅春とその時代』 小野泰博 著
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