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独占板

1718シャンソン:2015/03/12(木) 19:06:57 ID:KmNoedSc

日本は連綿とした皇室の伝統を戴いている国です。
だから、ついつい他国もそうだと思い、どの国の歴史も一つの延線上にあるような感覚で捉えてしまう傾向があります。
日本人が古くから「四書五経」を取り入れるなどシナ文化を敬い、その文化を尊んできたのもそういう思いが根底にあるからです。
中世までの日本は漢字に熱心な知識人にシナを崇拝する傾向が見られました。

 ところが、江戸時代に入り、漢学が広く普及するようになると、庶民までがシナ文化に心を奪われるようになります。
近世儒学の租といわれる藤原惺窩(せいか)は、権力争いを続ける日本の武将たちに嫌気がさし、シナこそが聖人の国と憧れ渡航を試みるものの、
嵐で船が座礁して失敗に終わった、という体験をしています。その頃の日本の儒学者は自国の文化をシナよりも一段下に見ていたのです。

 ところが、幕末に近づくにつれて儒学者の意識も変わり始めました。当時のシナ大陸では清が明を亡ぼし、朝鮮を呑み込んで大帝国を築き上げていました。「眠れる獅子」清は
日本にとって脅威そのものでした。そういう中、『中朝事実』を著した山鹿素行は「易姓革命を繰り返すシナは孔子が求めた理想の世界ではない。太古から皇室を戴く我が国こそが中朝(世界の中心)
と呼ぶに相応しい」と考えて、シナの思想にかぶれていた学者たちに警鐘を鳴らすのです。日本人が自国の文化を卑下する傾向から脱却し始めたのはこの頃からです。

 明治四(一八七一)年、琉球の漁師五十四人が台湾に漂着し、惨殺されるという事件がありました。
だが、清国政府は謝罪にも賠償にも応じようとはしません。これを解決したのが参議・大久保利通でした。
大久保は北京に乗り込んで清と交渉を続け、一歩も譲ることなく謝罪を取り付けた上で、五十万両の賠償金を得るのです。これは明治期の日本人がそういう劣等感を払拭していた何よりの証しとみるべきでしょう。

 だが、戦後、特にここ三十年ほどの間、日本には驚くほど中国におもねる雰囲気が醸成されてきました。
極めてゆゆしき問題と言うほかありません。私たちに大切なのは、太古からの歴史を含めて中国はどういう国なのかをよく知ることであり、知れば知るほどおもねっていては大変だという危機感を持つことです。
中国=孔子や儒教の国といった誤った認識に惑わされないようくれぐれも注意したいものです。
現在、世界の儒学の中心は日本と言ってもいいでしょう。

 『日本興国への道』 渡部昇一 著


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