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本流対策室/5
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<光明掲示板>
谷口雅春先生の「生長の家」を完全に破壊したい願望が八ヶ岳への“遷都”を生んだ?! (1412)
日時:2014年10月31日 (金) 19時45分
名前:破邪顕正
以前、私は、“八ヶ岳”への本部移転を、平清盛の「福原遷都」になぞらえて、こう評したことがあります。
>「八ヶ岳」移転に「福原遷都」を思う (4158)
日時:2011年08月29日 (月)
名前:「靖国見真会」参加者
友人と話していて、「八ヶ岳」への本部移転は、「福原遷都」の二の舞になるのではないかという話になりました。
「福原遷都」について、インターネットで調べたら、こう記されていました。
○平清盛が遷都によってめざしたものは、古い制法の束縛からの解放であった。制法とは、貴族一般に染みついている古い慣習や考え方のことである。京都では何をするにも旧来の慣例や偏見が大きな障害になる。平安京は法皇をはじめとする貴族と寺社勢力が団結して、新しい独裁者である平氏を閉め出すための制法の砦であった。新しい政治を始めるには、制法を生み出し、院政の基盤となる古代的貴族社会そのものを否定する必要があったのである。つまり、平安京を捨てることによって平家のめざす真の意味での武家政権の樹立が成るのである。
「原宿本部」にいては、自分のやりたいことが思うようにできない。
何かと目に見えぬ谷口雅春先生時代の「古い慣習や考え方」が染みついている。
それだから、“今の教え”を始めるにはそれに相応しい「都」が必要である。
「原宿本部」を捨てることによってはじめて、自分の目指す“環境保護教”の樹立が成るのである。
こう読み替えてみると、清盛の考えていたことと谷口雅宣総裁のそれとが奇妙にも平仄があうような気がして来ませんか。
その「福原遷都」は、結果的に、半年ともちませんでした。
そもそも、その遷都には身内からも反対の声が根強くありました。
だからと言って、「八ヶ岳」もそう長くはもたない、と言おうとしているのではありません。
ただ、「福原遷都」以降、平家は坂を転がり落ちるように衰退していったということに留意したいのです。
平家物語ではこれを「平家の悪行の極み」とまで評しています。
「八ヶ岳」移転によって、本部と教区との間に、今まで以上に溝ができ、教勢拡大への情熱も使命感もますます希薄化して、加速度的に転落していくような気がしてならないのです。
後で振り返って、「八ヶ岳」なんかに移転したばっかりに、そう言われる日が必ずくるのではないかと予感します。
この予感、当たりますよ、きっと。<
この文章を書いてから早や、3年もの月日が経過しています。
事態は、私のヨミ通りに推移しているような気がしてなりません。
今、読んでも少しも古びた感じがしません。
ただ、今になってみると、谷口雅宣総裁は、“環境保護教”のために“八ヶ岳”に本部移転したのではなくて、それはあくまでも単なる理由づけであって、そのホンネは、とにもかくにも谷口雅春先生のつくりあげた「生長の家」を完全に破壊したかった!
それだけが念願だったのではないかという気がしてなりません。
本当は、総本山も破壊したくてたまらないのだろうと思います。
しかし、それを手がけるのは、まだ時期尚早。
そのために、まずは「ご祭神」を変更することから手をつけた…。
そういうことではないかと思うのです。
谷口雅宣総裁が谷口雅春先生の「生長の家」を完全に破壊することを悲願として総裁に君臨する以上は、「裁判」に勝ち続け、それを支える「組織力」を更に充実・発展せしめなければならないと改めて決意しなおしている次第です。
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