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本流対策室/5

9290アクエリアン:2014/10/22(水) 02:00:31 ID:0BmYZB62
三島
いま、パリの学生と同じ、非常に熱烈なお言葉を聞きました。私はそのお言葉自体には心を打たれました。そして、私はその気持自体が嫌いではありません。しかし、私はあなた方の倍くらい年取っていいます。そして人間に対して疑い深くなっている。
ですから人間というものに対して、必ず目的追究の果てに一致があるということは、一切信じないことにしている。
いま質問された方の頭の中にあるように言論の自由を目的論的に使うか、あるいは私の言ったように、人間の本性ないし本能のためのやむを得ざるものとして認めるか、この二つの問題があると思いますね。
つまり、チェコの求める言論の自由というものは、いままであまりにも不当な圧迫をこうむって、言論統制をされてきた。お互い、こそこそ、友達の間でも人の少ないことろで政治論をやらなければたちまち引っくくられてしまう。これじゃ、かなわない、何とか人間の最小限の自由な意見が言えるような、最小限の自由が欲しいじゃないか、まあ、隣のおじさんの悪口も言いたい。総理大臣の悪口も言いたい。総理大臣の悪口も隣のおじさんの悪口も同じ次元で言いたい、それは私、ある程度人間の本能だと思います。その本能あるがゆえに言論の自由というものを考える考え方が一つ。
もう一つは、いま質間者が言われたように言論の自由をもっと理想主義的に、目的論的に追究し、言論の自由はそもそも何のためにあるか、それはどういう目的の達成のためにこれがあるのかという考え方。両者は全然違う考え方の筋道だと思うわけです。
さっき申しました民主主義下の言論自由というものは政治と直接、フィットしないように、つまり相互矛盾的関係につくられていると言いましたのは、そういう観点において、民主主義というものは矛盾した形態でノロノロ、グズグズ、ガタガタしながら、何とかコンプロマイズに達するという技術的な発明だと私は申し上げたように記憶します。と申しますのは、もし言論の自由が政治的達成に一直線に開かれている道は、たとえばバリの学生が主張したような直接選挙の形があるでしょ
う。直接選挙が政治形態として果していいのか悪いのか、直接選挙の上に一党独裁というものがもし成立しますと、一党独裁というものがいいのかどうか、これが非常に問題になるわけです。たとえぱいま人間の正義と幸福のためにと、あなたはこう考える。別の人間は正義と幸福というものをまた別なように考える。人間個々人の考えは別々であります。あなた方と、別の人の正義と、そういう声をどうやって完全に等分に実現することができるか。政治が一つの正義を実現すれば、それ
は必ず言論自由の弾圧へ来るんだ、なぜなら一つの正義の実現を一党独裁の形でやろうとすれば、必ずその先には秘密讐察・強制収容所がついてくる、これは人間性としての当然のことと思います。もし強制収容所もない、政治讐察もない、そして正義と幸福が実現される、しかもそれが言論自由の筋道を通って実現される、私はそのようなことを一切信じません。というのは正義というのは一つの妥協の上でしか成立しないようにできているので、もしそれが妥協でない、それだけの形
で実現すれば、必ずそれは言論の自由と衝突する結果になる、つまりあなたの言われたことは、言論の自由による正義の追究は必ず言論の自由の弾圧に終るということを私は言いたいのであります。ですから、言論の自由をそれほど窮屈に考えないである考えが実現するかしないかわからんが、とにかく言いたいだけ言ってやろう、言いたいだけ言ってやることによってそれが微妙な影響を相手に及ぼし、また微妙な影響が来るかもしれないが、それによって徐々に実現していく他はな
いというのが言論自由というもののどうしようもない性質だと考えます。

三島由紀夫「文化防衛論」(新潮社)より




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