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本流対策室/5
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907 :「訊け」管理人:2013/04/11(木) 15:34:47 ID:???
>>903文補足
「何々が書かれていない」という方向ですよね、最近の流行は。
まあそれならば、雅春先生だって批判可能です。そうでは、ありませんか?例えば(あくまでも一例ですが)『生活応用健全の真理』という本が、手元にあります。『生活読本』『幸福を招く365章』という本も手元にありますがこれら ―― いずれも(貴殿論理を使用せば)批判可能です。たとえば「谷口雅春は『天皇信仰』に関して触れていない」と。
「何々が書かれていない」という批判ならば、雅春先生も批判可能の理由です。
また、「今後は観世音菩薩を前面に出していく」等は、それも言い過ぎではないでしょうか。
たとえば、雅春先生が「イエス」に触れておられる著作だけ読まれ、そして「今後は住吉大神を捨てて、イエスを前面に出していくつもりだ」などと、云えるでありましょうか(※)。天皇についてもしかりでありあくまでも、「実相」を語る切り口のひとつでありましょう。
たとえば「実相」と云うものに関しある場面では、「スメラミコト」を切り口に語り、またある時は「久遠のキリスト」を切り口に語るワケです。「仏性」「久遠の今」と云う切り口もあります。そして、そんな「多数の入り口を方便説法に用いる」のが少なくとも、私の知る「生長の家」です。
ですので、特定著書の記述だけを指摘され、「今後は観世音菩薩を前面に出していく」云々を言われるのは早計というものでは、御座いませんでしょうか。(実際、総裁ブログ記事には「古事記」に関する記述も御座いますし)
・・・さてところで、かの総裁近著ですが、残念ながら「×」が付く箇所はありませんでした。少なくとも個人的には、「△が数箇所で、あとは全部○」という、見立てです。教団のプロパガンダに、乗せられておりますでしょうか?(笑)。そう思われるならば、どうぞご指摘くださいませ。
拜
追伸
なお、貴殿ご言及の「観世音菩薩」云々のくだりですが・・・・・特に問題箇所は、無かったと思います。雅春先生の御教えとの間に「齟齬はなかった」と云う、意味で御座います。ご反論あらば、大歓迎であります。
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