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本流対策室/5

5499志恩:2014/01/09(木) 06:31:00 ID:.QY5jUA6
趙州和尚と犬🐶 原題「趙州狗子(じょうしゅうのくす)」

ある人が、趙州和尚にたずねました。
「ねぇ和尚さん、この世の全てのものには、仏性があるっていいますけど、
それは犬🐶にもあるんですかね?」
趙州和尚は言いました。
「無(ねえよ)!」
さぁ、ここが、一番大事なポイントらしぃっすよ。

「無(ねえよ)」が、「有(あるよ)」の反対語の「無(ねえよ)」
だと思ったら、おおまちがいでござんす。「ある」とか「ない」とかの次元とは別の話でござんす。

ここのところさえ会得できたなら、わてらは、その瞬間から趙州和尚そのものになれる。
それどころか歴代のお師匠さんたちと同じ景色をながめ、同じ音を聞くことができるようになるかも。

仏教の修行僧は、とにかくこの公案の「わけわからなさ」に、全身全霊を傾けて取り組まなくちゃならねぇんだねぇ。
日常的思考を超えた世界に導く修行のためらしい。だけどよ、わてらは、生長の家なのに、なんで、わざわざ、公案に
まきこまれなきゃならないのか、それが、わからねえところのよ。

ひらめいたぞ。「無」とは、生長の家でおそわってる「無我」「無心」「現象なし」のことだわさ。
まぁ、その答えが、頭でわかったといったところで、それはまるで唖(おし)の人が夢を見たようなもので、
ただひとりでしみじみと噛みしめるほかないようなものなのだがな・・・・・・

ただ、これによって得られるパワーは恐るべきもので、驚天動地なんてレベルじゃないわさ。
たとえば屈強な戦士に破壊力抜群の武器を持たせたようなものだ。

肉体は、いずれ死ぬ時がくるからからといって悩むこともなければ、生まれ変わった先の心配をすることもない。
楽しみも苦しみもありのまま受け入れて、心も身体も自由自在になれるのだ。と、生長の家で教わった。

生長の家の教えを知ったということは、小さな種火つけたことで、
いつか、ごおっと燃え上がる時が必ずくるのだ。

だけんど、「無」が、「無我」「仏性」のことだと頭で知っただけじゃ、知らないのとおんなじことだそうだ。
注意しろよ。無我の生活を営むには、仏性だの、なんだのと、種々に符牒をとりかえて、思想的に探求しても
仕方が無い。講釈はいくら聞いてもたれても、役に立たない。どうしたら「無、現象なし」を活きたまま捉えることが
できるか。その方法を知って、それを実行することが唯一の大切な仕事であるのさ。

「無」を見破るには、思想の研究では、だめだ。認識や、推理や、概念では役に立たない。
それらを全部捨てる事を心路を窮めて絶すると、仏教ではいうのだそうだが、それが何より必要。

心路を絶しなくては、祖関は絶対に透れない。

祖関透らず、心路絶すれば、どんな大学者でも、道徳家でも、何の道の達人でも、実行して「無」を体得しなければ、
ただの凡夫にすぎない。

頭で考えるな、座禅(祈ること)をし、当たり前のことを当たり前に、実行しろよ。

すると、趙州和尚の腹も分かるし、歴代祖師の心もよくわかって、大安心、大満足の境地が得られる。
なんと愉快なことではないか。

この心境がつづくためには、常に怠らず「無」、これに気力を尽くせ。すると、なにが来ても、驕る事無く
堂々と正しく、立派に人生を生き抜く事が出来る。

犬に、仏などという余計なレッテルを貼ると、天真無垢の犬が、却ってよごれてしまう。目でみる犬ではだめだよ。
犬は犬の..、仏と変わらぬ絶対価値があるとわかると、もしも、あんたが、因縁があって今度、犬になって生まれて来ても
犬で満足できる。犬になって、愛されようが、いじめられようが、殺されようが、たのしく生死に処して行ける。

だいたい、そのような妄想のために、ひねもす、使命も果たさず、PC暮らをしていることこそが、公案である。




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