レス数が1スレッドの最大レス数(10000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
本流対策室/5
-
>>4603トキ理事長
さてその「岸社長」と云う方を敢えて、弁護してみます。カンタンに云えば「会計基準が昔と変った」、そんな件が発言背景にあるように、思ったからです。(この基準変更を知らぬと同社長談、暴言に映ることもあろうと察します)ざっくり云えば誰でも ―― まあ、マトモな経営感覚の持ち主ならばたぶん ―― 法廷に立てばあの種の発言を、する可能性があるからです。「現行の会計基準下では、しょうがない発言ではないのか」、そんな感じで擁護してあげたくなるような件でもあります。複雑ですが、以下で説明します。
・・・・いやさて、たしかに雅春先生の御著書は、「売れ」るのでしょう。しかし、ここで云う「売れる」の意味は、「損益分岐点を超えているか否か」が、重要だと思われます。売れていても損益分岐、していなければ「ダメ」の意味です。「現行の会計基準下では」、損益分岐、していなければ経営者へのプレッシャーが、強まると思います。(プレッシャー=絶版圧力のこと)岸さん個人は販売をつづけたくとも、損益分岐していなければたとえば、「銀行融資が下りない」など、そんなケースが予想されるのです。「経営基盤を揺るがしかねない事態に見舞われやすくなる」、そんな意味です。そんな経営責任者としてのお立場も、「マイナス発言」の背景にはあるように思います。
・・・・・ところで以前、本部職員Dさまから、こんな話を聞きました。「日本教文社の存立理由」に関することです。
「日本教文社の存立理由」として同社は、「雅春先生の御著書を販売しつづけること」が、うたわれてある模様です。ですんで少々損をしようとも、雅春先生の御著書を世に出版しつづけるのが、「義務」である様子ですね。この点までは理解できます。ですがこの存在理由は、会計基準が緩やかだった時代のものでもあります。(※1)会計基準の変更は、同社の存在理由を揺るがしかねないものです。(※2)
・・・・複雑な話を大幅にはしょって、話しておりますので、わかりにくいかもしれません。ですが、岸さんのご発言内容に関しては(正確なものが伝わってナイのでなんとも云えぬが)まだ、弁護の余地があるようにも思います。それ故、一言弁護申し上げた次第です。
拜
追伸
ドラッガーの言葉で、「たとえ天使がCEOになっても、30秒後には、利益のことを考えねばならない」というものがあります。岸さん個人がたとえ、「利益度外視で雅春先生の本を出したい」と考えようとも、彼が経営責任者ならば法廷にて、あの種の発言をして仕舞うことはあると思います。そして、発言が正確にはわからない状況ではありますが、あの発言を以て「雅春先生の軽視」など、もしも発言される方あらばそれは、ちょっとクエスチョンです。軽視か否かを判断される際には「会計基準等も勘案されるべき」、それが公正な議論となりはしないかと。
・・・・伝わったか心配です。ですんでもっと、ハッキリ書きましょうか(笑)。まあ、たとえば、熊本鎮台殿がもしも教文社の社長でも、(ケースによっては)あの種の発言を「せねばならない場面がある」ということです。そして問題の解決策としては、損益分岐するくらいの規模で、「雅春先生の御著書を売ること」があげられます。収益性があればたとえ、現行会計基準下でも「問題はない」のですからね。まあ、ここまでハッキリ書けば、少々意味は伝わるでしょうか。
<註>
※1 ですがこの存在理由は、会計基準が緩やかだった時代のものでもあります。
以前の会計基準ではたとえば、(ザックリ云いますが)「成長性」を重視しておりました。少々売れなくても成長性が見込まれれば、そんなに問題とはされなかったワケです。ですが、98年以降の米国基準会計下では、「収益性が問われ」ます。経営者は常に、このプレッシャー下に置かれているワケでありましてたとえ、岸社長個人が「販売したい」と考えておられようとも、もはや、関係がなくなるのです。雅春先生の御著書がバシバシと、損益分岐点を超えるほどに売れているならば、話は別になりますが。
※2 会計基準の変更は、同社の存在理由を揺るがしかねないものです。
・・・まあ、同社の決算書等を精査した上で、発言すべきものではありますが。資産の部が膨大ならば少々、売れない本(ここでは「損益分岐しない本」の意)を出しても、大丈夫だと思いますからね。
|
|
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板