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本流対策室/5
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>>1393 元本部職員D様
横から失礼いたします。
ご心情、お察しします。
まことに残念ですが、今思えば、総裁がご自分の書かれた著書を「聖典」と呼ばせず、「テキスト」と呼ばせていた時点で終わりだったのでしょう。
以前、私はこれを、総裁の生真面目な謙虚さの表れだと受け取っていました。
しかし、そうではなかった。
正反対だったのです。
ご自分が、生長の家大神のコトバを伝えるべき総裁であるにも関わらず、それを一切されなかった。
ご自分みずからが「これは生長の家大神のコトバではない」と宣言している著書を、「生長の家総裁」という立場で発表していたのです。
これほどの無責任・無信心がありましょうか?
この時点で、すでに終わっていたのだと思います。
一度でも本気で祈りながら文章を書かれた経験のある方はお分かりだと思いますが、自分が頭で考えても書けないような清らかな文章が流れ出るということがあります。
一心に祈りながら書くと、こういうことが起こります。
これは特別なことではありません。
谷口雅春先生だけが特別だったのではありません。
しかし、谷口雅宣総裁には、その体験がまったくない。
ご自分が聖典と呼べる自著が、ひとつもない。
どんなに霊感のない方でも、本当に一心に祈れば神が現れるはずです。
しかし、神が現れたことが一度もない。
それは、一度も本気で祈ったことがない、ということです。
大変残念であり厳しい話になりますが、そう言わざるを得ません。
生命の実相を失い、甘露の法雨を失ったのは、必然と言わざるを得ないでしょう。
今、私には、裁判を起こしてでも聖典を守ろうとされた方々のご心情が、少し理解できるように思います。
総裁に何を言っても無駄でしょう。
運命は、はじめから決まっていたような気がしてなりません。
大変残念ではありますが・・・
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