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Web誌友会 板/2

59復興G:2013/02/06(水) 19:39:55 ID:AB6RqYXc

<つづき>
また、現象世界は4次元時空間というスクリーン上に投影された映画であって、「実相」はフィルムに当たる、とも説かれています。

フィルムはすでに完成している、そこにすべてがあって完成している。けれども現象世界へのに投影は一コマ一コマ順番に映し出されるのであって、一度にすべてが投影されるわけではないから、現象は無常であって、不完全である。

私たちの五官は、投影された影である現象世界を認識する道具でありますから、その五官によって<フィルム>の世界、「実相」を知ることはできない。現象の言葉をもって実相を説明することはできない。というので「不立文字」とか「教外別伝」と言われてきた。

それを谷口雅春先生は、「実相」を五感知で知ることはできないし、現象の言葉で語り尽くすことはできないけれども、人間生命も実相生命すなわち神のコトバそのものの展開であって、肉体は現象界に出没するように見えても、本体は出没を超えている、時空間を生み出した元の神の生命そのものである。だからその自覚の展開としてのコトバを鳴りひびかせるとこによって、すべての人に宿る実相生命が共鳴して鳴り始める。そのことを、<五官知を超えた「実相覚」によって、実相に目覚める>とおっしゃっています。「実相覚」と、麻薬によっても体験されるような“変性意識”とは全然ちがうものだと私は思っています。

◆現象界のすべてのものは、時間・空間のスクリーン上に相対的に展開されており、現象界には「絶対」というものはありません。「絶対」とは、対立がない(対立を絶している)ということです。ということはすなわち「一」であるということ。「二」ではない。主観と客観が分かれる以前のところであり、「自他一体」「すべてが一つ」であるところ。
だから、「現象の自分はナイ」と自分を消したところに、実相があらわれる。

現象界は相対界であり、実相界は絶対界であります。
「実相」には「私の実相」「あなたの実相」といった数多くの実相があるわけではなく、実相は「一」であります。それは初心者様が>>37でおっしゃっている通りです。

では、現象界には多様性が顕れているが実相界には多様性がないのか、と言えばそうではない。実相界には無限の多様性があるから、それが影を映して現象界にも多様性が顕れているのである、と思います。

それが、「一即多」「多即一」ということですね。


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