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Web誌友会 板/2

5047a hope:2015/01/12(月) 15:38:54 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第15巻 p123 後から4行目〜

谷口――わたしは誌友の方に、推しつけがましいことをいっさいしようとは思っていません。「生長の家」は誌友が助かるために出現したのであって、わたしの生活費が助かるために出現したのではないのですから、誌友が自分で進んで聖典を欲しいと申し込まれるのでなければ送ろうとは思いません。

そうでないと義理に縛られて聖典をとるというようになられると「生長の家」で説く道が立たなくなるのです。誰かのためになるということが、そのためになったことをいいがかりにして、あとでその恩義でその人を縛るようなことにでもなると、始めからその人のために尽くさずにいればよかったということにもなるのです。

「生長の家」の生きる道は、人間を縛る道ではなくて、いろいろのものから縛られているその縛りからその人間を解放する道なんです。医学や衛生に縛られている人なら医薬や衛生から解放する、人相や家相に縛られている人なら人相や家相から解放する、因縁に縛られている人なら、その因縁から解放する。職業に縛られている人なら、その職業を乗り越えてなお生きる道があることを示す。

こういうように人間の生命を縛っているあらゆる束縛を解き放って「生命」本来の自由さを奪還させるのが「生長の家」の道なのですから、「生長の家」が誌友に対して少しでも押しつけがましいことをすれば、たとい聖典の売れ行きはよくなり、経済的に、「生長の家」が大きくなっても「生長の家」の道が立たなくなるのです。

5048a hope:2015/01/12(月) 15:40:56 ID:cEpBaIdo

>>5042 a hope所感)

この第四章の対談も、まだ、雅春先生がバキュームオイルカンパニーでお仕事をされながら、「生長の家」誌を発行されていた時のようです。
野田氏(第三章に出てこられた野田氏と同一人物でしょうか?)が雅春先生に、今の仕事をやめて「真理」の執筆に専念した方が、
「生長の家」も発展するし、「生長の家」の生き方にかなっているのではないかと、提案されています。

何年か後には雅春先生はそうされたようですが、当時はその提案を否定され、

<<人間の生命の偉大さは、その仕事の形の大いさで計られるべきものではないのです。欧州全土を征服したナポレオンの事業よりも、本間俊平氏が困れる人に与えた一足の草鞋(わらじ)の方が尊いのです。>>p138 後から8行目〜

といわれ、ナポレオンも偉大だけれども、それよりも、キリストが『兄弟のいと小さき者になせる愛の行為はわれにしたのと同じことである』
と言われたように、本間俊平氏のごとく今の自分にできることをして、目の前の困った人を助けることこそ、
神の御心にあった生き方であると教えてくださっています。

[
「生長の家」の信仰の基本ですね!

5059a hope:2015/01/12(月) 17:13:52 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p140 5行目〜

谷口―― 
(略)
「生長の家」の生活が我の生活ならわたしの定めたように進んでも行きますが、聖意(みこころ)を行わんがために出現した生活であるこの生活は神のみこころに従って千変万化するほかはありません。

我で貫きとおす自信と、大生命にバックされて大生命の流るるままに動く自信とがあります。ナポレオンの自信が前者ならば、「生長の家」の自信は後者です。

時が来ればわたしは会社員生活を止(よ)すことにもなるでしょう。また止さないかもしれません。いずれにせよ、それは雑誌を大きくするという野心のためにするのでは普通の雑誌業者になってしまいます。

わたしが今会社員でいるのは、人類全体が今はまだわたしに普通の会社員生活をしながらでも、自分も生き、人も助け、万人に光を与える生活ができるという範例を示してくれと望んでいるからです。

もうそんな範例は十分見せてもらったから、今度は会社員でない生活も見せて欲しいという人類の声がより多くなってくれば自然に神催(かんもよお)しでわたしの生活は変わってくるのです。それは自然に神催しにです。「我」で変えるのではないのです。

「生命」はどういう形でいけねばならぬということはない。大生命に押し流されて生きる時最も自由なのです。形の方は「執して執せず」です。形というものは影であるから執する必要はないのです。「生命」が主です。「生命」さえわれかくのごとくして生きるという筋道が立っているなら、形は千変万化してもよいのです。

その反対に形は一つを貫いていても、形を維持することに「生命」の方が支配されていてはその人の生活は生きたものではありません。そうかといって形の方をむやみにやり方を始終変えてゆくのかというとそうでもないのです。しっかりと自分の魂の底に死んでも死なない生きとおしの生命が自覚されてきますと、自然に時に応じた最も適当な生き方ができてくるのです。

「我」の力で焦る生活、力む生活、こうでなければならぬと形を極(き)めすぎた生活は、ある時期は大いに生長してもやがては行き詰まるのです。幸いにして、その人が死ぬ瞬間までは行き詰まらないにしても、そのいよいよの瞬間には行き詰る。ナポレオンも行き詰り、豊臣秀吉も行き詰ったのです。いわんや雑誌経営の夢は捨てなければならないでしょう。われわれは死の時になってさえも行き詰らない生活をしなければならないのです。

形には執して執さず、ただわれわれの「本当の生命」が影を映して進む生活なら、死んでさえも行き詰らないのです。

5064a hope:2015/01/12(月) 17:17:23 ID:cEpBaIdo

>>5059 a hope所感)

「生長の家」の生活は、神催しの生活で自由自在なのですね。

<<「我」の力で焦る生活、力む生活、こうでなければならぬと形を極(き)めすぎた生活は、ある時期は大いに生長してもやがては行き詰まるのです。>>

『都会ではいけない、森でなければいけない』って本当に「生長の家」の生活でしょうか?

5067a hope:2015/01/12(月) 17:18:31 ID:cEpBaIdo

閲覧者のみなさま

わたしの雅宣先生批判などの投稿が気持ち悪ったら、読まないようにしてくださいね。
身体によくないですから・・・

ところで、今までずっと観察してきましたが、わたしが、聖典の真理に照らし合わせて雅宣先生の教えを批判すると、
曳馬野さまが激しいアラシを開始されるようです。
(わたしの思い違いならごめんなさい)

曳馬野さまって、初心者さまやさくらさまにソックリですね。

5077神の子さん:2015/01/12(月) 17:33:03 ID:3/GnsEUs
これほどしつこく妨害する曵馬野さんは
この掲示板に素晴らしい投稿があると認めているんですね。

5078a hope:2015/01/12(月) 17:35:12 ID:cEpBaIdo

トキさま

いつも、お世話になっています。
わたしは、曳馬野さま(「訊」さまを名乗る)から何を言われても大丈夫ですので、
ご心配なさらないでくださいね。

まだ、どれだけアラシが続くかわかりませんので、削除は明日にでもまとめてしてください。

トキさまの優しい心遣いには、いつも心から感謝しています。 合掌。

5099a hope:2015/01/13(火) 08:20:40 ID:cEpBaIdo

>>5067 訂正

曳馬野さまって、初心者さまやさくらさまにソックリですね。
     ↓
曳馬野さまって、初心者さまやさくらさまとされることがソックリですね。


誤解を招く発言をし、申し訳ありませんでした。
わたしは、曳馬野さま=初心者さま=さくらさま だとは思っていません。
ただ、お三方とも、聖典「生命の實相」の真理が蘇ると都合が悪いお立場にいる方なのかもしれませんね。

5103a hope:2015/01/13(火) 21:01:02 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p147 3行目〜

肉体の年齢は仮の年齢であって、本当の年齢ではない。本当の人間の年齢はその霊魂の年齢である。霊魂の年齢とは、どれだけその人間が真理を悟ったか、「実相の人間」に近づいたかということで定(き)まるのです。

5104a hope:2015/01/13(火) 21:04:05 ID:cEpBaIdo

>>5103 a hope所感)

以前、このweb誌友会で霊界篇をお勉強しているときに、
神の子さんが小林春恵先生の「わが信仰の旅路」を紹介してくださいました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/3670

その時は、トキさんや志恩さんもいろいろ春恵先生のお話を紹介してくださったりしたので、
わたしも興味をもったので、「わが信仰の旅路」を拝読してみました。

そして、衝撃を受けました!
なんと、春恵先生は、20歳年下の小林昭三氏と結婚されたのですよね!!

当時、そういうことは珍しいことだったと思いますが、
「生長の家の教え」では『肉体の年齢は仮年齢であって本当の年齢ではない』とありますから、
春恵先生も、昭三氏もその真理をよく悟られていたのでしょうね。

また、この第5章には、楠野という青年が登場して、自分の恋愛問題を雅春先生に相談しています。

当時の「恋愛」は当事者同士の問題にとどまらず、家族、親せき、霊学者なんかまでも関わってきていて、
なんだか大変そうです(;´∀`)

今の日本では、不倫や離婚があたりまえのようになってしまっていますが、この章を拝読していると、
当時は、今ほど恋愛の自由がなかったかもしれませんが、
現代よりも、もっとずっと純真な美しい恋愛をする人が多かったのではないかと感じます。

5106神の子さん:2015/01/14(水) 00:15:53 ID:???

1908 :神の子さん :2015/01/13(火) 23:46:42 ID:???
>>1905 レイさん  くだらんレスするな。汚物は消毒だ〜!

管理人を真っ先に消毒しなければなりません。なりすましはいかんと速攻消毒にかかった管理人でありましたが、


1901 :トキ :2015/01/12(月) 12:41:18 ID:A3MA1f1M
>>1900  曳馬野 様  あらあら、とうとう、うのはな様まで攻撃の対象にしましたか。うのはな様、味方と思っていた曳馬野 様が裏切りました。  の投稿に対して何もしない。

一日半何もしないと云うことは、なりすましではないと云うことになります。となりますと独占版でうのはなさんが、この一連のやり取りについて正しく読んでおられる。
管理人は簡単な内容を敢えて、『裏切りました』という言葉を使うことで、荒れる版にしようと自らしたことになります。管理人の価値が全くないと云うことになります。また

>>1901の投稿者「トキ」なるものがナリスマシであるならば、消毒の措置に出るのが管理人の一貫性から当然であります。然るに削除の行為はしない。ナリスマシを肯定している。

どちらにしても版が荒れればよいと云う行動をトキ管理人自ら採っているのです。

こんな管理人に護ってもらいながら投稿したい、いくら気取っても腹の中は詮索好きの、人を軽蔑する傲慢な人間、a hopeさん

5107a hope:2015/01/14(水) 09:26:34 ID:cEpBaIdo

>>5105 曳馬野さま

わたしが詮索好きだと見抜かれたようなので、それならば、正々堂々と反論させていただきます。

本当に雅宣先生が「生長の家」の教えを正しく法燈継承されていて、
教えの神髄を変えることなく時代に合わせて説いていらっしゃるのであれば、
わたしのこの掲示板での雅宣先生の教えへの「批判」など、なんの影響力ももたないと思います。

曳馬野さまや初心者さまやさくらさまは、雅宣先生の教えが、
本来の「生長の家」の『光明思想』とは真逆の『暗黒思想』であるとわかっていて、
敢えて援護されているのではないですか?

その目的は何ですか?

5110a hope:2015/01/14(水) 21:57:08 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第1巻 p152

「言葉」でこの世界に健康を満たせば、この世界の人類が健康になる。「言葉」でこの世界に光明を満たせばこの世界が光明化される。「生長の家」は実にこの「言葉の力」によって人類生活を健康化し、幸福化し、光明化せんがための「神の国運動」であって、「生長の家」の発行部数がふえるほど、この世界に「善き言葉の力」がふえることになる。

「善き言葉の力」がふえればそれだけ人間の心が光明化し、地上に浮動している人間の「想念波動」が光明化し、いっさいの現実的悪の種子(たね)が浄められ、キリスト教でいえばキリストの再臨、仏教でいえば弥勒菩薩下生、すなわち地上天国建設の時期が早まることになるのであります。


こうして「コトバの力」の見地から考えてみますときには「生長の家」のコトバの力によって人類生活を健康化し、幸福化し、光明化しようという運動に相反して、いかにこの世界にはコトバの力によって人類を不健康化し、不幸化し、暗黒化そうという運動が多いことでしょう。

毎日日本国中に合計なん百万なん千万という発行部数をもったジャーナリズムは皆いちようにこの人類生活不健康化、不幸化の運動に味方しているようにみえる。全世界でいうときは十数億の発行部数に達するジャーナリズムが毎日コトバの力で人類生活を不健康にするための印刷物をバラまいていることになる。

新聞紙の大半は栄養剤と薬との広告で埋まっている。その広告は「おまえたち物質で造られた人間よ、おまえたちはこの薬を飲まないと治らないぞ」「この栄養剤を飲まないと健康になれないぞ」とおどしつけている。

これは新聞が広告料という金のために牽制されて「悪しき言葉」の力の宣伝に利用されているからであって、こんな広告を読めば読むほど、われわれ人間が神の子だという信念、物質ではなくて生命であるという信念が失われて、人間は物質であるから永久に薬物の奴隷として永久にその前にひざまずくべきものなりとの烙印を押されることになるのであります。

5111a hope:2015/01/14(水) 21:58:58 ID:cEpBaIdo

>>5110 a hopeまとめ)

「コトバの力」の見地から考えてみる『光明化運動』と『暗黒化運動』

『光明化運動』――「生長の家」のコトバの力によって人類生活を健康化し、幸福化し、光明化しようという運動

『暗黒化運動』――『おまえたち物質で造られた人間よ』という「悪しき言葉」の力によって人類を不健康化し、不幸化し、暗黒化そうという運動

5112a hope:2015/01/14(水) 22:03:38 ID:cEpBaIdo

>>5108 曳馬野さま

<<そんな息子を敢えて副総裁にし、組織を任せた清超先生の行動は、なんと評価しますか貴女は。>>

わたしには、当時の清超先生のご意志はまったくわかりませんから、お答えしようがありません。


<<それよりも復興Gさんが去って後、あなた以外誰が参加されていますか誌友会に。>>

トキさま、訊けさま、志恩さま、るん吉さま、SAKURAさま、トンチンカンさま、
最近は忙しそうで参加が少ないですが、ユタカさまなんかが参加されていますよ。
曳馬野さま(仏心さま)だってこうして参加されているではないですか・・・

それに、書き込みはされなくても、何人もの閲覧者の方がご覧になってくださっているとわたしは信じています。

だから、わたしは、曳馬野さまに「傲慢」と言われようが、「強情」と言われようが、「臭い」と言われようが、
トキさまのお許しがある限りこのweb誌友会を続けたいと思います。

わたしは、大好きな聖典「生命の實相」をここで学ばせていただくことで、
本当の「生長の家の教え」が何なのか明らかにしたいだけなのですから・・・。


曳馬野さまこそ、何の目的もないのであれば、どうぞお体に障りますから、
こんな傲慢なわたしの「臭い」投稿はもう読むのをおやめになって心安らかにお過ごしください。

「臭い物には蓋」という諺もありますから、曳馬野さまにはトキ掲示板自体をご覧にならない事をお勧めいたします。

ご自愛くださいね!

5117トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/01/15(木) 10:14:34 ID:t.y68kmc
a hope様

 いつも素晴らしい御文章を書いてくださり、心から感謝申し上げます。
web誌友会でのご活躍は、管理人としても嬉しい限りです。

 最近、悪意に満ちた投稿者が、心ない投稿を繰り返しておりますが、
無視してください。釈尊やイエスキリストがお悟りを得る前には、悪魔
が現れて妨害をしたとお経や聖書にはあります。

 真理について書かれて、妨害投稿がある、ということは、内容が正しい
という事です。

 これからも、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5118神の子さん:2015/01/15(木) 10:19:10 ID:???

5113 :神の子さん :2015/01/15(木) 02:02:29 ID:???
そういう寝言は部室版>>2502と少し前からの訊けのもの読んでから言ってね
こんな人間、本流よりはるかに心の汚い人間を生み出したのが、生長の家なんだ
自らはお高く留まるけれど心は低い、そんなトキ&訊けに感応する貴女 すばらしいです

5119a hope:2015/01/15(木) 23:36:37 ID:cEpBaIdo

>>5117 トキさま

あたたかいお言葉をありがとうございます。 

「生命の實相」がこんなにも素晴らしい聖典でなかったら、
わたしはここでこんなに長くお勉強させていただいてはいないと思います。


<< 真理について書かれて、妨害投稿がある、ということは、内容が正しい
という事です。>>

わたしは、聖典を拝読し、謹写して、そのことへの感想を述べているだけですが、
いつかは、自分自身の口から直接「真理」が語れるようになりたいです。

この掲示板では、トキさまがいつも見守ってくださっているので安心してお勉強できます。

こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

感謝 合掌。

5120a hope:2015/01/16(金) 20:00:15 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p148 後から6行目〜

有名な観相家石竜子(せきりゅうし)も「人相は信仰生活に入らないまでの人には的中するが、信仰生活に入った人には的中しない」と言っています。人相も、姓名も、家相も、体相も、健康状態も、およそ形なるものは、われわれの過去からの念の集積の形象化(かたちにか)したものであります。

(中略)

人間は生まれると一定の姓名を与えられ、また大体一定の人相も備えられていますが、これはその人間の霊魂が現世に生まれるまでの過去生活において得たる念の集積(業ともいいます)が形に出てるのであって、業というものは自動的に流転する一種の波動ですから、われわれが自身の生命の実相を自覚し、真理を悟って超越しない限りは、業の自転する力によってわれわれの運命は生まれた時にはすでにその大体が定(き)まっているといってもよいのです。だから、 人相を見てその人の運命を言い当てることができる――これは当然であります。

ところが病気とか不幸とかを起す念は妄念であるが、妄念に捉われている人から観れば厳然たる存在でありますのは夢見ている人にとって夢が確乎たる存在であるがごとくでありますが、真理の上から言えば根柢のない存在であります。なぜなら神はそのような病気とか不幸とかを造り給わないから、それを起す念も真存在ではなく、偽存在、空しき虚の念、妄念なのであります。

だから真理を知り、自分の生命が神の子であって事情円満なものであるという実相を自覚すれば、業の流転から超越することになるのです。そうなさりますと、その人の運命は観相家が観ても当たらない、姓名判断の大家が観ても当たらない。自分の「生命」が自由な世界へ出て過去に捉われない自由創造を続けてゆくからです。

この自由創造の働きとして人相もそれに追随して変わってくることもあり、姓名も自然に変えたくなり、変わってくることもあります。

(中略)

心をあとにして形ばかりを追うている者は、とんだ失敗を演ずるものです。心が整い、自然に人相のよくなるような人は、また自然に善い家相に住むように事情が運(めぐ)って来、善き家相の家が誂(あつら)えたように見つかるとか、今までの家に住んでいても、自然に、物のならべ方や造作の仕方などにも、生き生きとした光明が見えて来、家相が一変してしまうのであります。だからこの変化というのはどこまでも真理を知った上での自由創造の働きとしてそうなってくるのでなければなりません。

「人間の生命は形に縛られるものだ」という迷いに捉われている結果、姓名を変えられるような方は、いかに姓名を変えてもやはり不幸が付随しますので、この姓名も欠点がある、あの姓名も欠点があるといって、始終転転として姓名を変えながらなお安住を得ないで、その不安の念がさらに次の不幸を起す集積となることがあります。

姓名が「生命」を支配するのではなく、あらゆる現象は「生命」が進軍して行く際に周囲に投映した念の影でありますから、「生命」こそ主なのであります。生命の自由創造として人相が自然変わるならば、それもよろしい。生命の自由創造として善い家相にすむようになれば、それもよろしい。生命の自由創造として改名したくなったり新しい屋号や仮名や雅号(がごう)をつけたくなるならば、それもよろしい。しかしいかなる場合にも、われらは「生命」が主であって、いっさいの形相は従だということを知らねばなりません。

5121a hope:2015/01/16(金) 20:01:37 ID:cEpBaIdo

>>5120 a hope所感)

わたしは昔から、「占い」の類にはほとんど興味がありませんでした。
「今日の○○座の運勢」とかTVなんかでやっていますと、あえて見ないようにしていました。
当時は「自分の運命は、自分で支配したい」という気持ちが強かったのですが、今は「わたしの運命は、神さま任せ」という心境になってきました。

<<心をあとにして形ばかりを追うている者は、とんだ失敗を演ずるものです。心が整い、自然に人相のよくなるような人は、また自然に善い家相に住むように事情が運(めぐ)って来、善き家相の家が誂(あつら)えたように見つかるとか、今までの家に住んでいても、自然に、物のならべ方や造作の仕方などにも、生き生きとした光明が見えて来、家相が一変してしまうのであります。だからこの変化というのはどこまでも真理を知った上での自由創造の働きとしてそうなってくるのでなければなりません。>>

「真理」を知って心が整えば、こちらから求めなくても、自然に幸福がやってくるということのようです。
そのためにやるべきことは、『聖典を拝読』して、『神想観』をして、周りの人に深切を尽す(『愛行』)こと、つまり「生長の家」の三正行ですね!

5122るん吉:2015/01/17(土) 13:54:56 ID:p..UGkhA
a hopesama

ずーっと読ませて頂いてますよ。
有難うございますねっ。

5123a hope:2015/01/18(日) 00:25:16 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p159 4行目〜

谷口―― (略)
真にあなたと民子さんとが誓ったとおりに純情で愛し合っているならば、二人の心は一年や二年離れているだけでは変わらないでしょう。今民子さんを遠山さんが郷里へ帰されたのは遠山さんの心では、あなたたちの恋愛が本当の永続性をもったものであるか、一時の浮気の熱病であるかをわからすためです。

別れているうちにお互いに気が変わるようでは浮気な出来心で本当にそれは神の結び給いし縁ではなかったのです。そこにあなたたちの前にテストが置かれてあるのです。今あなたたちの幸福のためにこのテストをパスしなければならないのです。

楠野――(切なそうに)一年も二年も、二人はわたしたちの愛が永遠性のものであるということを人々の前に実証するまでは会えないのですか。

谷口――恋するもの同士が逢いたいのは無理もない。その時期はもっと早く来るでしょう。あなたは倉田百三氏の戯曲『出家とその弟子』を読んだことがありますか。あの戯曲のなかで、唯円坊と「かえで」とが恋をする、恋して二人は会いたくてたまらないけれども相手の幸福を希(こいねが)って逢わないで耐えしのんでいる場面がある。会いたくて会いたくてたまらぬけれども、相手の幸福を欲して会わないでいる心持ちには、会いたくて会う心持よりも、いっそう深い愛と美が輝いている。肉体の会いたさに打ち克っている。

それには感覚的な騒がしい美はないけれども、魂の静かな美がある。ここからのみ本当の明るさが来るのです。こうして魂が整ってから、その心の反影として肉体の世界が整う。こうして得られる男女の結ばれ方が本当の結ばれ方なんです。

楠野――よく解りました。目が覚めたようです。行手がハッキリしてきたようです。先生のおっしゃるように努めます。(小声で)皆様失礼いたします。(退場)

5124a hope:2015/01/18(日) 00:27:33 ID:cEpBaIdo

>>5123 a hope所感)

正直に言えば、この第五章のここのところの楠野青年の恋愛相談を拝読していて、わたしは楠野青年と民子さんを気の毒に感じていました。
二人とも離婚歴や女性遍歴はあったとはいえ、お互いに当時は独身で、普通に考えれば恋愛するのも自由なはずなんですが、
ここでは、まわりの人々に過去の行動なんかを評価され、無理やり一時的に別れさせられてしまったという結果になってしまいました。
昔の恋愛というのはみな、そんな感じだったのでしょうか?

ですが、
<<会いたくて会いたくてたまらぬけれども、相手の幸福を欲して会わないでいる心持ちには、会いたくて会う心持よりも、いっそう深い愛と美が輝いている。肉体の会いたさに打ち克っている。
それには感覚的な騒がしい美はないけれども、魂の静かな美がある。ここからのみ本当の明るさが来るのです。こうして魂が整ってから、その心の反影として肉体の世界が整う。こうして得られる男女の結ばれ方が本当の結ばれ方なんです。>>

という雅春先生の素晴らしいいお言葉を読んだとき、恋愛においても「環境は心の影」「肉体は心の影」という真理は普遍なんだな〜と納得しました。

でも、まてよ、わたしはそんな恋愛を今迄に経験したのだろうか・・・
もちろん、主人とは恋愛結婚でしたが、そこに「魂の静かな美」があったのだろうか・・・

あらためてチャレンジしてみようかな・・・
そして、主人に「また君に恋してる」なんて言わせてみようかな・・・(笑)

5125a hope:2015/01/18(日) 00:31:45 ID:cEpBaIdo

>>5122 るん吉さま

あたたかいお言葉をありがとうございます。 合掌。
また、いつでもご参加くださいね!!

5126a hope:2015/01/20(火) 00:14:39 ID:cEpBaIdo

「生長の家」第15巻 p172

平井―― (略) 
人の転住に方角の吉凶、男女の相性の吉凶、生年月日による吉凶、事を始めるのに日の吉凶があるのでしょうか?

谷口―― 人間は神の子であってひとりひとり宇宙の中心でありますから、どの距離へ対しても無限でありまして、本来東西なく南北ないのであります。だからどちらを向いても、みんな善い方角であるのが真理なのであります。

周囲がいかに暗くともわが行く先に光明を必ず見る、われ自身が光明であるからだというのが「智慧の言葉」にありますが、そのとおりでありまして、人間は神の子でありますから、どちらの方角を向いても皆善い方角なのであります。

また「思い立ったら吉日」という諺が昔からある。この諺は真理をうがっているのでありまして、人間は思い立ったときに恐れることなく断行する、この恐るるところなく断行するところに鬼神も避くる誠が出てくるのであります。

(中略)

方角の吉凶も、日の吉凶もみんな自分の心に在る。出かけしなに、今日は悪い方角へ向いて行かねばならぬ、何か悪いことが起こらねばよいがとふと思う、――あとは忘れて別に気にかけないでも、最初に「今日は悪い方角へ向いて行く」と思ったときに、心の力でその方角が悪くなっているのであります。

その代り「今日はよい日だ」と思えばその日は必ず善くなる。「智慧の言葉」に「天気の小言を言うな」と書いてあります。「日の小言」も同じことである。神のお創造(つく)りになった日に、悪い日などというものは一日もない。どの日も皆善い日である。方角でもみんな善い方角である。

世間では人間には健康者と病人とがあるという。しかし「生長の家」ではあらゆる人間は神の創造(つく)り給うた神の子であるから、みんな健康者であって病人は無いという、人間に病人があるのは迷信だという。人間が病気に見えているのはその迷いが影を肉体という鏡に映しているのだという。そして真理を悟らして人間本来無病完全の神の子だという真理に悟らしたとき今までどうしても治らなかった病が消える。その実例は『生長の家』誌友の中にたくさんある。

5127a hope:2015/01/20(火) 00:18:04 ID:brQxC10.

>>5126 a hope所感)

なんて素晴らしい真理なんでしょうか!

「悪い日はない」「悪い方角もない」「悪い相性もない」「病気もない」、
あるものは「善い日」「善い方角」「良縁」「健康」だけなんですね!

今夜も善い夢が見れそうです・・・(*^-^*)
それではみなさま、おやすみなさい。

5128a hope:2015/01/21(水) 09:25:09 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p176 

どんな美人でも眉を顰(ひそ)める習慣のある人を奥様に貰うと、よほど男の方が修養の足りた人でないと相性が悪くなり良人の運命が悪くなるのであります。
眉の間の晴れやかな暗いところのない婦人ならなんの歳生まれの人でありましょうともたといひのえうまの婦人でありましょうとも必ず相性がうまくいくのであります。
眉の間を常にしかめている人は常に不快な感情を自分で味わっているのでありまして、必ずその人は不健康か、不運なのであります。

5129a hope:2015/01/21(水) 09:25:59 ID:cEpBaIdo

>>5128 a hope所感)

わたしはここのところの文章を拝読して、思わず鏡を手にして、自分の「眉間」を確認してしまいました。(笑)
幸せになりたいみなさん、特に、p177の後から5行目〜は必見ですよ!
これって、一番簡単に運命を好転できる「裏ワザ」なんじゃないですかね。

女性のみなさん、こめかみにテープ貼って、目じりの皺や、顔のたるみ引っ張ってる場合ではないですよ!
伸ばすところが違いますよ!!!

5130a hope:2015/01/23(金) 00:01:12 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p179 7行目〜

谷口――(略)
『神想観』をする時にも、精神を統一すると眉を顰める習慣のある人がある。こういう人は自己の放散する霊波が暗いから、ともすれば低級霊の霊波を感受致しますから今後は眉をできるだけ伸ばすようにして精神統一をし、自分自身より放散する心的霊波を朗らかなものにしていっそう高い明るい霊波を感受するようにせられるのが、神に近づく道であります。

眉というのは人間というラジオ的受信機の捻子(ねじ)のようなものでありますから、眉をひそめて神想観なり鎮魂なりしている方の様子をみていますと、その肩のところに悪霊波が客観化したのが見えることがあります。

5131a hope:2015/01/23(金) 00:02:36 ID:cEpBaIdo

>>5130 a hope所感)

わたしは神想観は大好きですが、たまに、気分のあまり良くない時にしたりすると肩が重く感じられ、意識も「祈りの言葉」に集中できないときがあります。
もしかしたら、こういう時には低級霊の霊波をキャッチしてしまっているのかもしれませんね。

この後、この座談会で雅春先生は、『狐狸等の「憑霊」』と『人間の「念」の形象化』の関係を説明してくださっています。

とても興味深いです。

5132a hope:2015/01/23(金) 10:21:27 ID:cEpBaIdo

(a hope まとめ) テキストp179〜182


「狐狸の憑霊」と「念の形象化」とは・・・

○人間は万物の霊長であるから、動物の霊に支配されるといことはない

○憑霊というのはほとんどが人間の「念」形象化である

○「念」は形に化して顕れる傾向がある

○一つの「迷いの念」が客観化して物質的にみえるのが病気であるのと同様に、
「迷いの霊波」がその地方独特な迷信と結合し、人間について狐狸の姿等に客観化してワザをするのが憑霊である

○感受した念の象徴化には一定の法則がある
・狡い懶(なま)け者人に感受した念(こころ)―― 狸の形に象徴化して見える
・賢(さか)しく敏捷で化粧好きな人に感受した念(こころ)―― 狐の形に象徴化見える
・執念深い人に感受した念(こころ)―― 蛇の形に象徴化して見える
・高慢な人に感受した念(こころ)―― 鼻の高い天狗に見える


※たまに何の罪もないのに故意に殺されたような場合に山野自生の狐狸の怨霊の憑依するような例【祟(たた)りの霊の襲撃】もあるが、
恨みも由縁(ゆかり)もないのに野生の狐狸の霊魂が感応憑依するものではない


p180 後から2行目〜
<<恨みも由縁もないのに人間に感応して来る狐狸の霊というものは、実は野生の狐狸の霊波ではなく、人間から発する善からぬ念波がその地方特有の迷信に則(のっと)って凝集作用、変形作用、象徴作用によって形象化したものが類似の念を有する人間に感応して、その姿をあらわしているのであって、人間の念同志だから最も感応しやすいのであります。>>



【対策】

○観念の波として心の中に存する病気が、心の中の観念を取り去ったら治るように、いわゆる狐狸の霊も心の迷いを消せば消えてしまう


p182 5行目〜
<<しかし形象化した以上はそれぞれ個性的に独立した働きをするので、霊眼にも見え、喋らせればペラペラ喋ったりしますが、本来それは無いものですから、その棲家(すみか)やら、生年月日やらいろいろ分析して追求してゆきますと、しだいにその答えが支離滅裂になって、結局、何も無いということになってしまうので、わたしはこれを象徴的憑依と称しています。>>

5133a hope:2015/01/23(金) 10:24:39 ID:cEpBaIdo

( a hope所感)

テキストではこの後(p182 9行目〜)「象徴的憑依」と「業の流転」そして「生霊」「怨霊」「障礙霊」との関係が説明されています。

雅春先生って、ほんとすごいですね!

5134トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/01/23(金) 11:50:26 ID:qhzd28iE
>>5132

 この憑霊については、正しい知識を持つことが本当に大事だと思います。

 かなり前ですが、タヌキにとりつかれた親族を真言宗の祈祷僧のところへ連れて
行った人がいて、加持祈祷をしていている最中に祈祷された人が亡くなり、結果と
して、祈祷をした人が逮捕され、有罪の判決を受けた事があったそうです。

 こういう悲劇をなくすためにも、このご文章は大事だと思います。

5135a hope:2015/01/24(土) 10:00:29 ID:cEpBaIdo

>>5134 トキさま

コメントをありがとうございます。
「生長の家」の教えからいえば、?神の子人間? が、動物や、
暗黒世界を支配する悪魔のような存在に支配されるということは在り得ないと思うのです。

ですが、そのような動物憑依の迷信や「罪あり悪あり現象あり」の暗黒思想がこの世の中に少なからず広まってしまっているのが現状です。

その迷信や暗黒思想を信じてしまい、波動を合わせてしまったときに『象徴的憑依』や『病気』や『不幸』のような良からぬ現象が起こるのだと思います。
(わたしは雅宣先生や純子先生のご思想もこの暗黒思想であり、現教団はこの暗黒思想の影響を受けてしまっているが為に衰退現象が起きているのだと思っています。)


完全なお悟りを得ている雅春先生の光明思想の『聖典』を拝読して、その心の「迷い」を完全にとりさって、
?神の子? の自覚がまことに得られればみな幸せになれますのにね!

その光明思想を広める運動こそ、本来の生長の家の「人類光明化運動」なのですよね!

現生長の家教団が一日も早く、本来の「人類光明化運動」を取り戻して下さること祈っています。

5136a hope:2015/01/24(土) 10:03:16 ID:cEpBaIdo
>>5135 訂正

?神の子? →?神の子?

5137a hope:2015/01/24(土) 10:05:23 ID:cEpBaIdo
>>5136
訂正になっていませんね(笑)

5139a hope:2015/01/25(日) 13:30:34 ID:cEpBaIdo

(a hopeまとめ) テキストp183


人間がある『念』を起こした場合に起る二つの作用

○ 外に放射 → 漠然たる念波 → 1、波長の合う他人に作用 2、凝縮作用により独立した個性的生霊になる 3、象徴作用により象徴的憑依を起こし、怨霊、障礙霊などになる

○ 自分自身の内に印象 → 『業』として潜在 → 生を生まれかわってもその業が流動流転してくる

5141a hope:2015/01/25(日) 16:07:31 ID:brQxC10.

「生命の實相」p183 後から4行目〜

伊藤――わたしは法華経の修験者として以前多数の病人を治したことがありますが、わたしの師匠になる方から霊術で病気治しをした者の末路は必ずよくないから止す方がよいと教えられ病気治療を止しました。それ以来諸方の霊術家の末路というものを考えてみるとたいていよくない。

ある霊術家は友だちと一緒に河豚(ふぐ)を食って自分だけ食傷して死にました。ある霊術家は腕に肉腫といいますか、女の尻ほどの大きな瘤(こぶ)ができて死にました。これなどは確かに霊術で退散せしめた悪霊の怨念に祟(たた)られたのだと思います。


野田――それは法力で病気を治すだけで病人に真理を知らせて治さぬためにそんなことになるのでしょう。真理を知れば、そんなことはない。病人が真理を知り、「生命の実相」を知り、障りをする悪霊の波長と合わなくなって病気が治る段には悪霊は障りをすることができなくなるにちがいありません。


伊藤――本人に悪霊が感応しなくなるだけで、その悪霊そのものを教化することができなければ、その悪霊はまた他の人に感応して禍(わざわい)を起すにちがいありませんから、わたしは、悪霊は何よりも教化しなければならんと思うのです。

日蓮宗の方では第一鑑定、第二教化、第三経文ということになっています。「鑑定」というのはいかなる悪霊が障りをしているかこれを鑑定しなければならない。「教化」というのは、その悪霊を霊媒に招霊して、よく教えを説いて聞かし、改心して再び禍を起さなくさせるのです。「経文」というのは経文を誦(よ)んで仏力によって悪霊を救いとるのです。

5142a hope:2015/01/25(日) 16:08:53 ID:cEpBaIdo

>>5141 a hope所感)

誰でも「重い病気」にかかれば、藁をもすがるような気持ちになって、その病気を治す努力をするのではないでしょうか?

良い医者にかかったり、食べ物を工夫したり、ご先祖さまや神さまにすがってみたりもするでしょうし、

狐狸の霊や悪霊が憑いていると言われれば、祈祷師や霊術家にその霊を祓ってもらおうとするのかもしれません。

ですが、ここでは一見、「命を救う」というとても尊い仕事をされている霊術家と言われる方々の末路があまりよくないという、
その原因についてみなさんで話し合われています。

この後、雅春先生がその原因について生長の家の「迷いの自壊作用」を根拠にした説明と、
「怨霊」や「障礙霊」などの『憑霊』を根拠にした説明を二方面からしてくださっています。

雅春先生は、どんな時にも相手の立場や理解力を考慮しながら、自由自在の方便を用いて真理を説明されています。

すごいです!!

5143a hope:2015/01/26(月) 10:53:23 ID:cEpBaIdo

「霊術で他人の病気を治した者の末路がよろしくない理由」の二面的説明

説明その一、自然(因果)の大法を破ったことへの報いを受けたから

○病気は「迷いの自壊作用」であるから、そのことによってその人の神性が磨き出される自然的過程になっている
○それを横合いからいって突然その病気を治すと、治された人は真理もなにも知らないままになる
○それは病人を治しながらかえって相手の向上をさまたげたことになる

p185 後から6行目〜
<<「迷いの自壊作用」として真理を知らす自然の過程として起ってきた病気がその意義を全うせずして捨てられる。これは因果の法則を破ったことになる。ここに病気を不法に治した人に責任が問われなければならない。だからわたしは直接治療で法力で患者を治すということはしないのです。そんなことをしなくても本を読むだけで、神想観をするだけで、真理を知ればそれだけで、病気は治るのです。>>



説明その二、障礙霊の復讐を受けたから

○怨霊その他の障礙霊にもそれ相当に理由があって病人を悩ましている
○それを霊術を用いて悪霊を退散せしめると、その悪霊の憤りによる害悪の念波が術者を襲う

p186

<<われわれがその病人を治すのにある種の霊術を用い、法力という強制力によってその悪霊を退散せしめますと、「盗人にも五分の理」という諺もありますとおり怨霊その他の障礙霊にもそれ相当の理由があって病人を悩ましているのでありますから、それ相当の理由で不平があり、憤りを発して、その憤りによる害悪の念波が、常にその術者を襲っているわけでありますから、術者の心が真理を知らず、ちょっと隙ができたとなると、その害悪の念波が術者を襲うことになり、心霊術家の末路はおもしろくないといあれるようになるのでありまして、これは一面から言えば因果の大法を破った報いであり、他面から言えば、障礙霊の復讐を受けたことになる。
生長の家では本を読んで真理を知って自分で治るからそんな弊害はありません。>>

5144a hope:2015/01/26(月) 10:54:33 ID:cEpBaIdo

>>5143 a hope所感)

「生長の家」の唯神実相の真理から言えば、「心(念)もない」わけですから、
その念波が凝縮したり象徴したりしてあらわれている悪霊など本来存在する筈はないのですが、
それを信じてしまっている人にとっては存在しているのも同然なのですから、
その原因を理解できるように説明してあげることも重要なのではないかと感じました。
それが、説明その二になるのだと思います。

この真理をちゃんと悟ることができれば、心霊現象なども全く怖くなくなるような気がします。

<<そんなことをしなくても本を読むだけで、神想観をするだけで、真理を知ればそれだけで、病気は治るのです。>>
<<生長の家では本を読んで真理を知って自分で治るからそんな弊害はありません。>>

いずれにしても、「聖典」を拝読することにより、真理を知ればこの人生でなにも恐れることはなくなりそうです。


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