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Web誌友会 板/2

44志恩:2013/02/06(水) 00:53:29 ID:.QY5jUA6
ブックレビューより

「シッダールタ 」(単行本)

Aさん

ヘッセによる仏教への質問、それが小説の形となっている。
シッダールタという少年が、いろいろな体験、人との出会いを通して、「真理とは何か」、「生きるとは何か」と探し、やがて老人になり、いろいろなことを知る、

そういう話です。別の道を歩んだ幼なじみ、仏陀、遊女、河から多くのことを学んだ先輩、そういう人たちが登場します。

若い頃のシッダールタは言います、「僕のできることは3つだけです、考えること、待つこと、断食すること」と。特に最後の断食できるのは、強みですね。

年老いたシッダールタは言います、「言葉だけでは、本当の真理を伝えることはできない」と。したがって、

「人は自分の体験を通してのみ、自分の道を見つけることができる」のだと。

この小説を読んで、僕の中の何か(思想)が少し変わったような気がします。

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Bさん

沙門のころのシェダールタと裕福なったときのシェッダールタ、そして渡し守となったシェッダールタと同じ人物であるが全く違う風景に感じ
るのはなぜだろうか。

最後に幼馴染であるゴーヴィンダと再会して語る場面があるが、言葉や知恵ではなく実在するあらゆるものから真理を発見することができると述べ
られている。
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Cさん

シッダールタは悟りに達するべく、特別に生まれついたわけではありません。
また、シッダールタの悟りは天から降ってくるものでもありません。

この物語で描かれるのは、悟りを得たいと願った普通の人間が、もともと自分の中にあったものを一生をかけて苦しみ抜いてしぼり出して、生まれた哲学です。
ヘッセの美しい文章に導かれて、シッダールタの心の移り変わりを共に辿れば、自分の中にある幸せの元(悟り?)のようなものを垣間見ることが出来るかも知れません。
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Dさん

うーーーん、私には正直響きませんでした。
途中のシッダールタが享楽的な生活から抜け出す下りくらいまでは、共感できるところも多々あったのですが。。

この主人公が最後に出した結論って「川の流れのように」とか「与作」的な思想ですよね。
ヘッセの結論が「自然のままに生きるのが良い!」と言いきるのはそれはそれでいいのだけど、
ただ「あるがまま」を愛することのみが正解だ、みたいに言ってる感じで、そこに共感できませんでした。

人間は昨日の自分を超えゆくもので、成長を目指すべき未来の存在だと思うのです。
はっきり言ってヘッセは仏陀の思想を理解し切れてないと思います。
なぜ仏陀はあんな苦しい思いまでして、仏教を布教したのか。
仏陀の最後の言葉は何だったのか。ヘッセは知らないのでは。

人間は、そこに「変えたい」「変わりたい」という思いがあるから、生きていけるのでは。

確かに、川や山や森は美しく素晴らしいものですが、人間の素晴らしさはそれを愛でて、淡々と生きていくだけではないように思うのですが、ヘッセの文にはそこに対する「含み」や「揺らぎ」がない。

押し付けられてるようで、ちょっと納得いきませんでした。


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