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部室 板/4
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>>9975
1.概要
1964年(昭和39年)に発足。略称、生政連。生長の家創始者の谷口雅春は、戦時下では皇軍必勝を唱えた。戦後も「日本の天皇が国家生命の全機的統一者」であるなどとし、政治結社・全国精神主義連盟、生長の家選挙対策委員会などを設置し、社会活動・政治活動を行っていた。1960年代に入り政治運動を活発化させ、1964年(昭和39年)に生長の家政治連合(略称:成政連)が発足した[1]。
生政連の目的は「『生命の実相』の精神を日本国民全てに浸透せしめ、唯神実相[2]哲学の原理を政治面に実現し、もって政界を浄化し、唯物論的世界観を克服した真の日本建設と人類公明化に貢献する」というものであった[3][1]。
1966年(昭和41年)には全国約200の大学を組織して「生長の家学生会全国総連合」(略称・生学連)を、1967年(昭和42年)にはカトリックなどとともに、「優生保護法改廃期成同盟」(のちの「母と胎児のいのちを守る会」)を、1969年(昭和44年)には佛所護念会教団などとともに「自主憲法制定国民会議」を結成している。その他、1969年(昭和44年)に結成された全国学生自治体連絡協議会(略称:全国学協)にも生学連関係者が複数関わっている[1]。
生政連は、かつては組織内議員を当選させたこともあった。また、生政連は、1970年代の「元号法制化運動」などの原動力ともなった、との指摘がある[1][4]。
983年(昭和58年)、生長の家が運動方針を一部転換し、政治関与を止めたことで活動停止となった[1][5]。
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