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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

973うのはな:2013/10/08(火) 23:38:58 ID:rY/nvBlQ
     それでも日本軍は戦った

 私が子供のころの沖縄と同じような海が、目の前にあった。水は透き通り、熱帯魚が乱れ舞う。
あまりの美しさに、しばし、われを忘れて海を見つめていた。
 こんな美しい島で、これほど小さな島で、日米両軍の死闘が行われたもかと胸が痛む。
「絶対負ける。必ず命を落とす」と覚悟を決めた日本兵たちが圧倒的兵力、物量を持つアメリカ軍と戦う。
「一日でも長く、日本に生き延びてほしい。故郷の家族、仲間たちに生きてほしい」との願いで、若者が死んでいった。

ペリリュー島での日米両軍の戦いは、ボクシングで例えれば小学生のアマチュアボクサーと世界ヘビー級チャンピオンが戦うぐらいの
差があった。それでも戦った。写真はアメリカ軍に破壊された日本軍の95式戦車。ペラペラの鉄板でできた車体。バズーカ砲で貫通してしまう。
この粗末な戦車が、たった16両。アマリカ軍は、当時最高峰の性能を誇る分厚い鉄板で装甲されたM4シャーマン戦車が117両。
日本兵の小銃は旧式のおもちゃのような鉄砲。アメリカ兵は自動小銃や機関銃。

 海からは砲艦射撃、空からは徹底した爆撃。実質的には、まるで勝負にならない戦いだった。
日本軍の状況を的確に把握していたアメリカ軍は、「子供を相手にするような戦闘」だと完全に舐めきっていた。
アメリカ第一海兵師団長のウィリアム・H・リュバータス少将は、こんな小さな島に閉じこもる弱小日本軍との戦いは2,3日で
片づくと見ていた。

 アメリカ兵に対して、「諸君に頼みがある。私への土産に日本軍守備隊長のサムライサーベルを持ち帰ってもらいたい」と豪語。
アメリカ兵の中にも、「この戦闘は午前中で終えて、昼から浜辺でバーベキュー大会をやろうぜ!」と笑顔で話す者もいたほどだった。
ところが日本兵は強かった。圧倒的な兵士と物量の差をものともせずに戦い抜いた。
「日本を守る。愛する家族を守る」との壮絶な思いで、命を捨てて戦い続け、アメリカ軍第一海兵師団自体が全滅判定(損失60%超)を
受けるほどの損失を与える。

「サムライサーベルをプレゼントしろ」と言っていたリュバータス師団長は、あまりのぶざまな戦いぶりを糾弾され解任。
そして心労から心臓病を発病するほどだった。戦争は良くない。当然のことである。
でも圧倒的な戦力を有するアメリカ軍に、当時の日本兵は、どのような思いで戦いを挑んだのであろうか。
なぜ、ここまで命を捨てて戦ったのであろうか。

『日本はなぜアジアの国々から愛されるのか』 池間哲郎 著


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