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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

963うのはな:2013/10/06(日) 20:12:22 ID:iaMecIV6

尖閣諸島が日本の領土であることを、中国が認めていたことを示す歴史資料が石垣市に残されている。
1919年12月、中国・福建省の漁民が漁の途中、嵐で遭難し、尖閣諸島の魚釣島に漂着した。
魚釣島には当時、日本人が経営するかつお節の工場があった。工場の従業員たちが、中国の漁民たちを救助し、
手厚くもてなした。漁民たちは翌年、石垣島から商船で台湾へ送られ、福建省に無事送還された。

 歴史資料とは、1920年5月22日付で、中華人民国長崎総領事から、かつお節工場経営者や当時の石垣村長ら、
漁民の救助に関わった7人に贈られた感謝状だ。文面には、漁民が「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内」に漂着した、と明記されている。
感謝状は2通が現存しているが、2010年10月、玉津博克が石垣市教育長に就任した当時は、1通しか見つかっていなかった。
「感謝状を文化財に指定したい」

 玉津がこう宣言したのは、就任を祝って職員が開いた懇親会の席上だった。
尖閣諸島周辺で中国漁船の衝突事件が起き、日中の対立が激化していた時期だっただけに、「尖閣諸島の海は友愛の海にするべきだ。こんな時期に
文化財指定するべきではない」と反対の声を上げる職員もいたという。

 感謝状の存在は周知の事実だったが、玉津の就任まで、文化財に指定しようという声はなかった。
石垣市の文化財審議会は市教委から諮問を受け、文化財に指定すべきかどうか審議したが、結局、委員から「感謝状はほかにも出て来る可能性がある。
発見を待ってから指定すべきだ」と慎重論が出たため、継続審議になった。

 それでも玉津は、文化財指定の方針を貫くことを決め、2011年12月に文化財指定された。
教科書問題のさなかの出来事だった。玉津は「尖閣諸島が沖縄県石垣市の行政区域であり、日本の領土であることを証明する貴重な文書だ。歴史的価値が高く、
県指定、国指定の文化財に値する」と話す。玉津が従来の教育長とは異なった意識を持っていることを、周囲に印象づけるには十分だった。

 『国境の島の「反日」教科書キャンペーン』 沖縄と八重山の無法イデオロギー

 教科書問題取材班・仲新城誠 著


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