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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

831アクエリアン:2013/08/30(金) 20:46:07 ID:bZcHYDVQ
鈴木邦男さんは、「宗教なんてこわくない」という本の中で次のように書かれています。

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一水会をつくって二十年。学生運動を含めると 二十五年以上、この民族派の運動をやってきた 。それを支えたのは何もイデオロギーでもない し、三島由紀夫でもなかった。生長の家で学ん だ宗教的、精神的なものだったと思う。そうし た内面的なものがなければ、とっくの昔にこん なことはやめていただろう。・・・・・・

今、大川隆法氏が政治改革経済改革と言ってい るが、二十年以上前に生長の家では同じ事を主 張していたのだ。あっ思い出したぞ。あの頃は 、霊的学問大系の樹立とか霊的文化大系とかも 言ってたなー。生長の家の総論は谷口雅春先生 が述べられている。だから各論は俺たち学生が つくるのだと意気に燃えていた。・・・・・・

宗教には昔から関心を持っていた。いや、関 心なんてものじゃない。母親が生長の家という 宗教団体に入っていた関係で、小学生の頃から 生長の家の神童会に時々行かされていた。中学 生になってからは、三泊四日の中学生練成会に 参加した。高校では生高連の宮城県の責任者だ った。それに高校は東北学院というミッション スクールで毎朝、礼拝があった。 だから、もの心がついた時から宗教の中にひ たって生きてきたようだ。大学に入ると生長の 家の学生道場に入り毎朝四時五十分に起きてお 祈りをした。それを六年間、一日も休まずに続 けた。今考えても、すごいと思う。生長の家の 学生組織「生学連」の書記長をやり、それを基 盤にした民族派の全国組織「全国学協」を作り 、そこの初代委員長となった。 そして、三十年近く、この民族派の運動をや ってきた。こうしてみてくると筋金入りの宗教 活動家のようだが、そうでもない。生長の家は 、信じられないほど明るく自由な宗教だった。 いやなこともあったが楽しかったことの方が多 い。生長の家の運動の中で青春を燃やし、一途 に生きてきた。無神論者から見ると、その頃の 僕なども「狐つき」であり、「クレージー」に 見えたかもしれない。 しかし、信仰を持ち、宗教活動に打ち込めた ことは本当に素晴らしかったと思う。何ら悔い ることはない。

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ところで、鈴木邦男さんは、生長の家が産んだ、国際的な有名人なんですよ。

国際的に大きな影響力を持っている、あの雅宣さんも愛読されている、国際人の必読紙、ニューヨークタイムズマガジンの特集記事、日本の新しいナショナリズム、の中で、かなり大きく取り上げられています。
生長の家の出身の人で、ニューヨークタイムズの特集記事で取り上げられた人は、他にいないのでは。笑い

http://www.nytimes.com/1987/04/12/magazine/a-new-japanese-nationalism.html

この記事の日本語訳のページ

http://karotosen.blog.ocn.ne.jp/nihongo/2009/06/post_ca85.html


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