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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

826志恩:2013/08/29(木) 23:06:33 ID:.QY5jUA6
クーニョンフアン様

鈴木邦男氏のブログを2つもご紹介下さって、ありがとうございました。

鈴木氏は、日々、多方面からの仕事の依頼があり、仕事以外のことも含めて、スケジュールが、予定表に目白押しに詰まっていて、
朝から晩まで、よくこなしておられますよね。
また、豪華な顔ぶれの友人や知り合いの多いことといったら、驚くばかりです。

鈴木氏は、おいくつにになられたのかなと、調べてみましたら、今、70歳(1943.8.2)でした。
まだ、お若いから、今後も 変わらず ご活躍されるでしょう。

ご紹介くださった「鈴木邦男をぶっとばせ」ブログ、2つとも、生長の家に関する事が、書かれてありますね。生高連の歌まで載ってました。^^

ウイキペデイアによりますと、
........................................
(前略)
1967年、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
学生時代は、生長の家学生会全国総連合(以下生学連)に所属し書記長として活動(母親の影響で小学生の頃より生長の家とはかかわっていた)。

生学連もその結成に協力した民族派学生組織「全国学生自治体連絡協議会」(後に「全国学生協議会連合」と改称。略称は全国学協)の初代委員長を務めた。
しかし、当時の書記長らとの対立が原因で短期間で組織を去っている。

後にテロリズムを否定する鈴木も「学協時代は暴力学生だった」と自ら告白している。
その反面でスポーツに打ち込み、議員になったばかりの合気道四段の小渕恵三に何度も投げ飛ばされたというが、合気道の練習に励み三段を取得。現在は柔道に進み三段。

1970年3月、早稲田大学大学院政治学専攻修士課程中退。
右派学生仲間の森田必勝(元日学同活動家。楯の会に入会したため日学同を除名された)の誘いで教育学部に転部したが、左翼運動の退潮と共に自らの運動も敵を失い、
大学を中退して仙台の実家に帰り、書店の店員を経て、同年4月、産経新聞社に入社。主に販売局や広告局に在籍し、一旦は政治活動から離れていたが、

1970年11月の三島事件で森田が三島由紀夫と共に自決したことに衝撃を受け、1972年、犬塚博英や四宮正貴、阿部勉ら生学連や学協時代の仲間などを中心に「一水会」を創設し会長に就任。
さらに1973年、防衛庁に乱入する事件を起こして逮捕され、
懲戒解雇となる。(後略)
......................................................
と、生長の家でご活躍された経歴も記されていました。

元生長の家でご活躍されてたお方が、こんなに社会的に各方面の多くの皆様方に愛されていて、同じ生長の家人として誇りに思います。


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