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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

7520アクエリアン:2018/02/12(月) 22:16:32 ID:UNlwyDdw
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安全保障を議論するということ

安全保障は確率論の世界です。国の安全には100%ということはあり得ないからです。専門家は、リスクの可能性を1%でも減らし、危険に対する対応力を1%でも増やすために日々努力しているのです。そのような安全保障の営みを可能とさせるためには、専門家に対してあらゆる事態について想定し、テーブルに乗せる裁量を与えなければなりません。ミサイル防衛についても、原発警護についても、100%安全ということはありません。国民には、どうして安全と言えるのかと問い続ける権利も義務もあるのです。

同様に、スリーパー・セルが日本に存在することとも、向き合わないといけないのです。テロリストがいると思えば、当然テロ捜査をしなければいけないわけで、その過程を通じて、テロリストがいない社会よりも人権保護に関する懸念が生じうることは確かでしょう。だからこそ、安全だけでなく人権保護の観点をバランスさせながら重視していく必要があります。安全の確保は人権との緊張関係を一切孕まないと言ってしまえば、それは嘘をつくことになりますし、いざ有事には反動として極端な人権侵害が行われるはずです。人権保護と緊張関係があるからと言って、国家の安全にとって重要なリスクを国民に見える形で議論することを躊躇すべきとは思いません。

考えてみれば、これもまた、安全保障を法解釈でしか語れなかった結果として、この国に根付いてしまった悪癖かもしれません。安全保障は、事実と、リスクと、確率と向き合う営みです。それは、本来は、誤魔化しの言葉遊びとは関係のないもの。「専守防衛」の内実や、「集団的自衛権」と「個別的自衛権」の差分を云々していても、日本は1ミリも安全にはなりません。今の日本にとって不可欠なのは、安全保障の世界から誤魔化しと建前の議論を放逐することではないでしょうか。

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この考え方には、まったく、その通りだと思います。

本当に、センスのいい(野球界のイチロー選手のような)、バランス感覚に優れた、国際政治学者の出現は、日本のためにありがたいことです。


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