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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

7455アクエリアン:2018/01/31(水) 17:37:32 ID:UNlwyDdw
宮崎正弘の国際ニュース早読みより
  ♪
西部さんから「天皇陛下のために死す」という三島由紀夫的言辞は聞かれなかった
 自死用のための武器調達は不法とはいえ「合徳」であるとも説いていた
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 あちこちのメディアに各氏の西部遭氏への追悼の辞が聞かれた。
それぞれが哀切の籠もった評価で、参考になったけれども、以下二点の指摘をした人がいなかったので敢えて触れる。

 第一に西部さんからは「天皇陛下のために死す」という三島由紀夫的な言辞は一切聞かれなかったことである。
 ところが、酒場でカラオケが盛り上がると、「桜井の別れ」を唱った。

 この話をすると「桜井の別れって、どんな歌ですか?」とよく質問を受けた。楠木正成・正行親子が、湊川の決戦を前にわかれる名場面で、昔は小学校唱歌、誰もが歌った。

 ちなみに歌詞は、

「青葉しげれる桜井の 里のわたりの夕まぐれ
 木の下かげに駒とめて 世の行末をつくづくと
   しのぶ鎧の袖の上に 散るは涙かはた露か」
 
 「正成涙をうち払い わが子正行よび寄せて
   父は兵庫におもむかん かなたの浦にて討死せん
 汝はここまで来つれども とくとく帰れふるさとへ」

 以下十五番まであるが、西部さんは五番目あたりまで暗記していた。
 息子の正行も四条畷の闘いで死んだ。親子して尊皇だった。西部さんの著作を貫く基調は「攘夷」である。しかし維新の志士たちのような尊皇攘夷ではなく、三島の「英霊の声」を評価した形跡はない。


 ▼短銃の入手を三回試みていた

 第二が不法な武器調達は合徳だという弁である。
 遺書とも言える『保守の真髄』(講談社現代新書)の中で、しきりに自裁の手段としてピストルの入手に三回失敗したと明記してある。
 もう一度、当該ページを紐解いた。

 「なお人生で三度目の述者(西部)の短銃入手作戦が、前二回と同じく入手先主の突如の死によって頓挫するというほとんどありえぬ類の不運の見舞われたことについてここで詳しく話すわけにはいかない。ついでに申し添えておくと、この述者は、道徳と法律が食い違うことの多い現代では合法にも不法にもそれぞれ合徳と不徳のものがあって、自死用の不法な武器調達はおおむね合徳に当たると考え、そして自分は合徳で生きようと構えてきたのである」(260p)

何気なく読み飛ばしそうだが、さて、これをわざわざ文字を持って明記したということは、(なにしろ西部さんは「言葉は思想だ」と言っていたのだ)何かのメッセージではないかと考えた。

そうか、ひょっとすれば野村秋介氏のように、朝日新聞本社へ乗り込んで社長と面会し、その場でピストル自殺とかの政治演出を伴った最後を企図していたかも知れないと思った。でなければ、なぜピストルのことなどを意図的に挿入しているのか、分からないではないか。


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