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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

6919トンチンカン:2017/11/04(土) 15:27:12 ID:LCJhHBlg

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             高知の母は元気です!!   (谷口貴康氏)
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<田舎もんのブログ>  谷口貴康・海辺で元気に生きています
https://blogs.yahoo.co.jp/tachiyan50/archive/2014/8/4

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『高知の母は元気です』                2014/8/4(月) 午後 7:42


 私の母は数か月前より住み慣れた原宿から高知に転居して静かに暮らしています。


 戦時中に焼夷弾の雨から家を祖父たちと護り、山口から上京した父と出会い、そして長
く暮らした原宿の家は知人から「お山」と呼ばれる小高い土地にありました。私もそこで
生まれ育ち、中学に上るころには本宅から新宅を父や母が自ら設計して子供たちが住みや
すい家を新築しました。もう40年以上前の事です。ちなみに家の瓦の色は私の意見を取
り入れて下さり海の青となりました。思い出がたくさん詰まった家でしたが、父が亡くな
る前に宗教団体に寄付しました。


 父が亡くなってからだと思いますが、母はその宗教団体の役職を離れたのが原因か住み
慣れた自宅の家賃を請求されることになりました。寄付した団体から今までの感謝の代わ
りにお金を請求されることはきっと戸惑われたと思いますが、もともと祖父の代からその
団体に生活費を除いたものは定期的に多額の寄付がされていたので、それにならっておら
れたのかもしれません。


  しかし、いつの日からか私たち子供や孫がその土地に入ることを許さないという予想
外の事態となりました。その組織に入っていない人は「部外者」として立ち入り禁止と言
うわけです。結果として、母は高い家賃を払いながらも自宅で子供や孫やひ孫にまで会う
事の出来ない状態になりました。母の悲しみは深かったと思います。


 一緒にその場所で生まれ育った思い出の故郷は、寄付した団体の監視下に置かれ自由を
奪われたわけであります。恩をあだで返されたとはこのことです。母はストレスが溜まっ
たのか体調を崩しました。


 ことここに至っては母を自由にさせてあげたいという姉たちは、姉の住む高知へと母を
誘い出して生活するようになりました。母は体調を日に日に改善させ今、悪い夢が覚めた
ように楽しく自由に暮らしています。


 何よりも自由なのは会いたい人に自由に会えるという事です。あたりまえの権利を母は
取り戻すことが出来ました。わたしはそれから高知には二回訪ねていきましたが、なにぶ
ん不便な場所で手元不如意な私たちは頻繁には通えないので毎月畑の野菜や獲れた海産物
などを送っています。電話の声も明るく元気なので何よりも安心しています。大雨が高知
を襲いましたが住んでいる場所にはほとんど影響もなく安堵しています。これからもっと
もっと楽しい余生を暮して戴きたいと思っています。 
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