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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2
6656
:
志恩
:2017/10/20(金) 06:11:57 ID:6hRUvSRg
前にも書きましたが、原宿本部時代に、
私が、お仕事をお手伝いしていたのは、部屋がすぐ隣だった企画局のお仕事で、
私が関わっていたのは、企画局局長の山口悌治先生、佐脇先生、おおはざま先生、
そして、会報を作ることになってから、会報の編集長は渋谷晴雄先生が編集委員長に
なってくださいましたので、
私は、その渋谷先生の下で、会報の編集員をご一緒に教えていただきながら、
数年させていただいていた関係で、渋谷先生とも懇意にしていました。
その頃、私の属していた「部屋」も、「企画局」の部屋も、渋谷先生がいらした「渉外局」の部屋も、
ご神像が建っている方の建物の「本館」にありました。
かたや、仙頭先生が青年局局長でした「青年局」は、「本館」ではなくて、「新館」の方にありましたから、
そのように、距離も離れていたこともあり、あまり、青年局とは、親しい交流は、当時から、ありませんでした。
仙頭先生が親しかったのは、当時、青年局の女子部にいた勅使河原淑子さんの方です。
私は、勅使河原さんとは、友人でもなく、遠い存在で、二人でお話しした記憶もないです。
廊下ですれ違う時に、ご挨拶させて頂いたくらいしか、記憶がないです。
ですから、今、参議とかに大出世されておられる勅使河原さんに私のことを聞いても
彼女は、私のことは、よく知らないと思います。
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